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■児童館・児童クラブの安全管理と子ども 詳細トップ






  子どもの困った行動どうするNO1   泣けば勝てると騒ぐ子どうする
 兄弟・姉妹数の減少に伴うに親族の減少そして乳幼児からの群れ遊びの減少は、すぐに切れてしまう子どもの増加を生んでいる。傷つけやすく・傷つけられやすい子どもの増加である。しかもけんかの程度を知らない子どもが増えているので、子ども同士のけんかから大きな怪我になることや、心を傷つけることも多いのである。
 児童館・児童クラブ・学校・保育園・幼稚園・近所においても一番大事にしなくてはいけないのは人の生命である。人の生命を傷つけたり、心を傷つける行為・行動は絶対にさせてはいけないと私は考えている。場面によっては実力で不当な暴力を押さえることも必要である。言葉で話せばわかると言う人は現場を知らない人であると思う。神戸や大阪の事件でどのように説得すればよいと言うのか。子どもの生命を守る先生が暴漢者・・犯人に抱きついて、その間に子どもに他の大人を呼びに行かせるべきではなかったか。神戸の事件で大阪の事件は予想しておかねばならなかったのである。

 暴力の問題が出ると念仏のように『体罰の禁止』とのことが出てくる。体罰の禁止は教育の基本ででもあるかのように。現実は暴力を振るう子どもが先生に『おいせんこう。なぐれよ。なぐってみろよ。おまえは体罰禁止されてるんだぞ。』と脅す手段になっている。最近では小学校低学年でもこんな言葉が言われ始めているのである。学級が崩壊するわけである。

 『体罰の禁止』は日本国憲法にも教育基本法にも書いてはない。学校教育法に「校長及び教員は児童に対する懲戒権を有する。但し体罰はいけない」と書いてあるのである。つまり教育をする手段として怒ったり、立たせておいたり、学校へ来ないようにしたりはできるが殴ってはいけないというのである。問題となるのは教育をする手段であって、昨今の子どもの暴力は教育以前の問題なのである。日本国憲法には日本国民の基本的人権が認められており、この権利は日本国民の努力によって守っていかねばならないと明確に記されている。他人の生命や財産・人権を傷つける行為は当然必要に応じて実力が行使されるのはありうるのである。

 それでもまだ『体罰の禁止』と言う人がいる。では不当な暴力によって傷つけられる被害者の人権はどうなるのであろうか。自分の子どもが他人に不当に傷つけられたら、どうするのでだろうか。たしかにガンジーはイギリスからの植民地支配への抵抗の手段として非暴力主義の運動を提唱した。けれど夜中に後ろから闇討ちにあったら、実力で抵抗したと思いますよ。

 近い将来私は教員にも児童厚生員にも場面によっては実力で暴力を阻止するための権限が与えられると明記されるようになると考えている。・・・実際は日本国憲法によりきちんと権限はあるのですが・・・それまでの間大きく声をあげて不当な暴力を実力で阻止していく必要性を訴えたいと私は考えている
 
子どもの困った行動どうするNO1  泣けば勝てると騒ぐ子どうする

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