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 子どもの目線の下からの大発見を(2003年4月30日)  詳細トップ
 2006年2月26日(日)追加子ども理解はunderstandでトップにしてみました。
 この話題が私の主たるテーマと思ったからです。ご意見をお待ちしています。

 






     
     子どもの目線まで下がるというのは眉唾では?

 子どもを理解するのに子どもの目線まで下がってみようということがよく言われる。なんとなく眉唾ではないかと感じていた。子どもの目線まで下がるということ自体に自分は一段高い所にいるという優越感があるからである。自分は高い場所にいてたまに下に下りてみても理解できるものではないのである。背が高いということは人間にとって本能的な優越感を持たせるものである。逆に背が低いほうは高い者に恐れとかおびえを感じる本能がある。たぶん人が森から離れて地上に降りてから、大きな動物からの攻撃を防ぐ手段が少なくなり、襲われたことにもその本能的な感じ方があるように思う。
 本能的というとそれをどう証明するのかといわれる人がいる。本能だから証明できないのです。ただ実験はできます。私は昔一本歯の下駄にあこがれていました。3年ほど前に会津の桐下駄会館で高さ20センチほどの一本歯の桐下駄を手に入れました。この桐下駄を履くと身長が183センチになります。とても自分が偉くなったように思います。同様に竹馬に乗って2メートル以上になるとすごく感激の世界が広がります。周りの人より一歩背が高いということは本能的な優越感を持つことができ、逆に背の低いほうは威圧感を感じることになるのです。子どもを叱るときに子どもを上から叱るのと子どもの下から叱るのでは下から叱るほうが威圧感が半減するのです。これはやってみるとすぐにわかります。
 こうした関係性が存在する中で、子どもの目線まで下がるということは自分の位置が高いということを意味しているのであり、眉唾ということになると私は思うのです。上司が部下の立場まで下りてきても「何をスパイしてまた権力を振るうのか」と疑いの目を持つのが自然です。大人よりも背の低い子どもは大人の「子どもの目線まで下がる」という欺瞞を本能的に見破っています。ですからフリをしても誰も本音を言うわけがないのです。

   子どもの目線の下からの大発見を

 ユニバーサルデザインのベンチを作ったときのことです。ユニベンチのことを新潟日報で紹介することにしたのですが、デジカメの写りが良くありませんでした。そこで友達のプロのカメラマンに撮って貰って新潟日報に載せてもらいました。この写真を撮るときの友達は身体を低くして下から子どもの写真を撮っているのです。「どうして下から撮るのですか?」と聞くと「子どもの表情を子ども主体にとるにはアイラインが子どもの視線より下からでないとだめだ」と言うのです。
 そこで、気づきました。私達のように子どもの仕事をしている人なら子どもの目線まで下がるのではなく、子どもの目線のそのもう一歩下から子どもの本当の姿を発見することが大事ではないかと思いました。

  

 右の写真はほぼ子どもの目線と同じ位でデジカメで撮ったものです。同様に真ん中は子どもの視線のちょっと下から撮りました。左の写真は座っている遊んでいる子どもを撮るのに寝そべって下から撮ってみたものです。視線が変わることによってイメージがだいぶ違うものになります。撮っている私自身が右では「ちびギャングだな」「自転車うまいね」「「何をしてるのかな」なんて感じで撮っています。右の写真を下から撮ったら「ギャング怖い」ていう感じになったかもしれません。
 子どもの視線のそのまた下から見上げることは大いなる発見をすることができるのです。


   子どもの目線の下からの大発見とunderstand
 子どもの目線の下からの発見をという提起を4月の日記帳でかきましたら、掲示板にとても良い書き込みがありました。以下はその引用です。
    

297] Re[295]:子どもより下からの目線 投稿者: 投稿日:2003/04/06(Sun) 23:39  

ともやんさんの日記帳の赤ちゃん、とっても素敵な写真でした。
なるほど、子どもを生き生きと「つかまえる」には子どもより下からの目線が大事なんですね。
英語の「理解する」が "understand"(下側に立つ)というのも頷けます。

 というものです。英語の理解するというのはunderstand(下側に立つ)だというのです。子どもの理解が大切という多くの教育評論家や児童館関係者・教育関係者の話を聞くことがあるのですが、「この人は現場を知らないばかりか本当に子どものことなど理解していないのではないか」と思うことがよくあります。こうした人の特徴は子どもの中に入って子どもを理解しようとしないことです。せっかく児童センターなどに来ても子どもから学ぼうとしません。文献を漁り、会議に出席して子どもを理解したように誤解しているようです。理解できるわけがないのです。uderstandしていないのです。自分は上に立っていて。understandできるわけがないのです。反対の場所にいるのですから。
 子どもを理解しようと思ったら、子どもの下側に立ってみてみることだと思います。それは具体的には子どもの視線のそのまた下から見てみることだと思います。この手法を使うと本当に大発見をすることができます。

   子どもの叱り方
 男の子は女の子に比べけっこう手や足が出て悪いことをするものです。女の子は男の子が叱られるのをみて育ちますから、男の子がしっかり叱られない最近は女の子もかなりひどいことをする子どもが増えてきています。
 子どもが物を投げたり、蹴飛ばしたりしたら、「なんとひどいことをする」と思って良いから、でもその感情をコントロールして、子どもの傍に近づき、子どもよりも膝立ちになり、子どもよりも背を低くし、悪いことをした手や足を痛いくらいにパチンと叩きます。「わあー」と泣いたら「この手が悪かったね。あなたは良い子よ。」と言って子どもの顔を抱きしめてあげましょう。子どもは納得するものです。上から叩いていないし、叩く前に座ることにより感情をコントロールしているので、ずいぶん叱り方が上手になるものです。ユングの言葉の中に「権力は腐敗する。暴力は麻痺する。」と言う言葉があります。子どもを叩いてはいけないと教えられ、我慢に我慢していてあるとき切れてとめどなくなってしまうことがあることも多いものです。悪いことは悪いこととしてしっかり感情を込めてしかり、ただその感情をコントロールすることが大事だと私は思うのです。
 叱る前に子どもの背の高さよりも低くなって見ることは、子どもが悪いことをしたと見えたことがじつはそうではないとわかることもあります。まさにunderstand=下側に立つなのだと思います。

   みんなで子どもの目線の下からの大発見を
 子どもの目線のさらに下からの大発見を考えると多くの発見ができると思います。遊びの手法などもずいぶん変えていくことができると思います。学べない子どもが悪いのではなく、伝えることのできない自分の力量を反省し、子ども心の復活をしたいと思います。


 


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