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■2003年 4月

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  4月 2日  コットンさんと山へ
 コットンさんと山へ遊びに行ってきた。雪の下にフキノトウを見つけに行ったのである。車中での話である。人間の視覚はとてもうまくできていて、必ずしも写真のように見えるのではないのである。形の同一性・明るさの同一性・大きさの同一性があるというのである。つまり人間の視知覚はうまく修正するというのである。これは放送大学のテレビで見たものである。車に乗りながら、今、目の前に走っている車が見えているのをデジカメで撮ったらどうなるかと話をした。実際には大きなトラックがいて、その前方にはトラックの大きさの半分くらいに感じられる自家用車が走っている。そこでデジカメで撮った見ました。
      
 でもデジカメで撮ってみると前の自家用車は本当に遠くに小さく見えるだけなのです。
私達の目には前方の自家用車は
     
 上の写真の対向車くらいの大きさでとらえられています。それほど人間の目はすばらしいというかいい加減にできているということです。見たことが必ずその通りではないことがよくわかります。
 同様に小さな子どもの目には大きな大人はどのように写っているかを常に考えておかなければと思います。そうすると子どもと話すときは子どもの視線よりちょっと下になって話してやることが大切となります。子どもと同じ視線ではなく、子どもよりも下の視線から子どもに語りかけることが必要と私は思います。

     
 内の倉ダムへ遊びに行ったのですが、ダムの水が少なくて、沈んだ木が出ていました。人間の視覚はかなりでたらめと考え、水の一番そばまで行ってデジカメで意識して撮ってみました。でもやはりズームレンズでないとうまく感動は伝わらないようです。でもちょっと素敵でしょう。ここまで行くのに雪道を1時間15分歩き続けました。
 4月 6日  子どもの目線の下からの再発見
 よく「子どもの目線まで下がってみましょう」と主張される方がいる。上から見下げるよりは子どもと同じ目線まで下がるほうが悪くはないとは思います。でも結局それは五十歩百歩ではないかと私には思われます。自分はいつも上にいて、たまに下に下がってきてもある意味では下がってこないより陰険という見方もできないわけでもないからです。

 新潟日報の夕刊「私の一押し」のコーナーでの写真撮影を友達のカメラマンにお願いしました。かれは子どもの写真を撮るのに子どもの目線より低い位置から狙いをつけていました。そのことで子どもが主体の写真が撮れるようです。
            
 この写真は私がデジカメで撮ったのですが、あかちゃんの視線のちょっと下から撮ったつもりです。このことであかちゃんが主体になっています。

 こんなことから「子どもの目線まで下がりましょう」という主張ではなくて私は「子どもの目線の下からの再発見を」という主張に切り替えることにしました。子どもの目線より下になって見てみると再発見できることが多くあります。そこから素直に学んでいけば子どもの遊びや活動をどのようにしていったら良いかがわかるように思います。また自己中心の大きい上級生にも下級生の視線の下から見ることをすすめることにより、思いやりも出てくるように思います。

 「子どもの目線の下からの再発見」は同時に児童厚生員や保育士・教員がいかに子どもに指導するかの指導技術を習得を目的とするのではなく子どもから学ぶにはどうするかの技術の習得を可能にするように思います。そして大人主体の遊び指導から子ども主体の遊びの手法開発へと発展していくように思います。

 子どもの遊びは大人の遊びとは実際はずいぶん違ったもののようです。たとえばオニムやバックギャモンをしていて大人は勝負が決まればそれでやめることが多いものです。でも子どもは最後まで、全部あがるまでやろうとします。子どもの目線の下から見るとそれがよくわかります。ですからみんなで最後まであがるまで付き合うようにして遊びます。勝負が決まっても勝ったほうも負けたほうがはやくあがるように応援するようにすれば、終わり方がとてもよくなります。それを「もう勝負が決まったのだからいつまでもしつこくやるものでない」なんていうのは大人の目線です。子どもの目線まで下がって「終わるのを待っているから早くね」なんてのもまだ大人の論理だと思います。
 子どもの目線の下からみてみると大人が負けたときはこうなります。
「ともちゃん勝ったからといって、えばっていないで、私が終わるのを応援してよ」。
すると勝ち負けにこだわらないでゲームを楽しむことのできる子どもになっていくように思います。日ごろ大人が勝ち負けが決まればゲーム終了みたいなことばかりやっているから、ある程度勝ち負けが見えてくるとヒステリックに怒り始める子どものなってしまうのではないかと私は感じています。
 4月12日  やっと春休みが終わった。
 とにかく忙しい春休みであった。児童クラブが87人(小学校1〜3年生)ジュニアクラブ55人(4〜6年)と総勢140名を越す人はすごい人数であった。おやつを120用意しても足りないこともあった。

 3月22日からは学校は休みとなり新1年生を含めた保護者会。翌日は日曜日で休みだったが,翌翌日の3月24日からは新1年生が来始めて、3月28日からは隣の保育園も卒園が終わり、30名余の新1年生と旧6年生もいて150名を超えていた。

 ビデオ映写会・ローラースケート・散歩・お化け屋敷・買い物ごっこ・子ども喫茶・折紙遊び・テレビゲーム・ボール遊び・手つなぎ鬼・丸鬼・言葉遊び・ジャンケン遊び・草取り・ごみ拾いなどなどをやり、春休み最後の行事で子どもたちを自然科学館へつれていって、なんとか春休みが終わった。

 子どもには多く経験をすることが必要である。とくに異年齢・異世代とのふれあいの少なかった最近の子どもは自己中心でトラブルをすぐに起こす。「ゲームキューブを寄せてくれない」「バカと言われた」「一緒に遊んでくれない」「叩いた」「つばをかけられた」と次々に訴えてくる。またぶつかっては怪我をし、病院で検査をしてもらったケースが春休みに2件あった・さいわいなんともなかったが、人数が多くなるとトラブルも増えるのである。
 でもこうしたトラブルも含めたふれあいの中で子どもたちは着実に成長していく。この春休みの2週間で新1年生もすっかりたくましくなってきた。汗をいっぱいかいて走り回り、親が迎えに来ても「帰るのがいやだ」と駄々をこねている。嬉しい限りである。また保護者も理解してくれて早めにお迎えに来て子どもたちと一緒に卓球をしたり、ボール遊びを一緒にしてくれる人が多いのが今年の特徴である。また第3子乳児も連れてきてくれて、他の子どもにも抱っこをさせてくれる。子どもたちは大喜びである。

    
 日常活動の中では子どもたち同士でバックギャモン・オニム・スーチャン・トランプなどの室内遊びが少しすつ仲間でやっていた。でも一番の人気はゲームボーイとマンガ読み・ベーブレード遊びのようだった。室外ではロープスイングの人気が高く、晴れていると8本のロープと玉は子どもで鈴なりであった。上級生は野球を多くしていた。
 遊戯室は卓球・バトミントン・マット遊び・ボール蹴りが盛んだった。
 小学校の1〜3年生くらいまでの子どもにとって群れて遊ぶことの大切さがわかった長い長い春休みでした。
 4月18日  モミジバフウについて
 4月2日に新発田の小戸で面白い木の実を見つけた。イガイガが付いて硬い木の実である。
 コットンさんと山に遊びに行って見つけたものである。子どものネックレスに使えると喜んで拾ってきた。でも名前がわからない。
            
 木の実の形を頼りにネットで検索した。そしたら管理人ウッディーさんのホームページ「もりはともだち」にであった。「もりはともだち」のなかの「木の実図鑑」に同じ形のものがあったので、BBSでウッディーさんに聞いてみたらあたりでした。以下はそのBBSでのコピーです。
モミジバフウについて 投稿者:ともやん 投稿日:2003/04/17(Thu) 07:37 No.772  
モミジバフウについてメールで教えてもらいありがとうございました。新潟の山へ出かけて奇妙な木の実を見つけました。アクセサリーにできると思い、拾ってきました。とてもすてきなペンダントができたのですが、木の名前がわかりません。ウィディーさんに教えてもらいました。ありがとうございました。

 私は子どもの遊びをテーマにホームページを運営しているのですが、自然と親しむことも大事なテーマです。わからないことを調べに時々遊びに寄りたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。


Re: モミジバフウについて ウッディ - 2003/04/17(Thu) 23:14 No.776  

ともやんさんが既にモミジバフウとあたりを付けて折られたのですから、ウッディは「その通りです」と言っただけですよん。
素敵なペンダント、少し痛くないですか(^_^; 大丈夫かな。
ウッディも子供たちの中に入って、ともやんさんに遊んでもら
いたいなあヽ(^。^)ノ
 ウッディーさんのホームページはとても楽しいホームページです。とくに木の実の図鑑がすばらしいと思います。
    もりはともだち
 名前もわかり、遊べることもわかったので4月13日にもまた拾いに行きました。モミジバフウはまだ木に100ヶ位木の実をつけていました。先回拾った後また落ちたものを100ヶ位拾いました。
       
 木の形はこんな形です。
 4月18日   午前中代休をとり
 春休みの代休をとりました。午前中公園のごみ拾いをしていたら、またもや犬の糞が3ヶ所もありました。そこで新潟日報の窓欄に投書をすることにしました。

   犬の糞害防止条例を
 私達は多くボランティアの仲間と一緒に、町内の公園の草を刈り、環境を整備し、子どもたちが安心して遊べる場所作りを行っています。
 公園がきれいになるとともに遊びに来る人たちも増加しています。公園を利用する人たちのマナーも良くなってきています。しかしながら一部不心得の犬の飼い主がいて、大きな犬の糞をそのままにして平気で捨てていきます。新潟市も市議会議員選挙がありますが、ぜひ犬の糞害防止とゴミのポイ捨て禁止条例を作ることを公約にあげて欲しいと思います。
 子どもたちが安心して遊べる環境作りをすることは、多くの地域の住民が安心して過ごせる地域作りにもなるのではないかと思います。これまで以上に、議員や役所は地域作りの応援をして欲しいと私は思います。

 4月26日  子どもの数の増加と怪我の増加
 子どもの数が一定の場所にある程度多くなってくると事故の確率はとても高くなる。人口密度が倍になると人間関係は四倍以上になり、事故の率も倍ではなく四倍以上になる。このところの職場の児童クラブ・ジュニアクラブの数が多いことは事故の確率を多くしているように思うのである。もちろん大きな後遺症がのこるような事態にならないようにしているが、子どものぶつかり合いはとても多くなっている。しっかり叱るとともに遊びのルールをしっかり守れるように声かけをしている。
 ただ今の子どもが一番足りないのが、こうした子ども同士のぶつかり合いである。大きな怪我にならないことを前提にぶつかり合いも保証しなければならない。でもなかなか難しい時代である。危険なことをやってもしっかり叱ることが悪いことかのように言われたり、他人を傷つける行為をしっかり取り締まる手法も確立していないのに、「体罰禁止」のみが取り上げられたりで、傷つけられる子どもの人権を守らないで、粗暴な行為をしている子どもの人権のみが取り上げられすぎているのである。サリン事件を引き起こすような人たちに対してそれを狂気とみるだけでなく、現実の中にも同じようなことがあることを自覚して対応を考えなくてはならないと思うこのごろである。 
 
 
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