5月16日 |
久しぶりにパソコン日記を書きます。 |
2004年度になって、児童センターも多忙でした。それでパソコンの日記をサボっていました。tomoyanの『遊びを考える』partUの作成も忙しかったのですが。また児童クラブ・ジュニアクラブの人数も増えてなんと150名を突破したことにもよります。

おやつを食べるときもチョー満員です。私はおやつは「各自いただきます。各自ご馳走様」が原則だったのですが、これだけの人数になると後ろの子からおやつをとりにこさせ、みんなにいきわたってから一緒にいただきますをすることも必要になってきました。
状況に応じて臨機応変に子どものニーズを考慮しながら活動することが大切です。 |
5月22日 |
有意義な一日 |
5月5日は水曜日であった。水曜日は私の公休日である。公休日と祝日が重なると代休がとれる。原則的に出来るだけ近くの土曜日に代休をとれるようにしている。しかし平成16年度は4人が代休を取る必要があった。テンプラ会もあったので、3週間遅れの代休となった。山菜採りに行こうと思ったが、同行者がなかった。一人でもと考えたが、木曜日に西土木事務所より平島公園宛にサルビア・ベゴニア・100日草・マリンゴールドなどの花が300くらい届いていたので、自治会の人たちと公園の花植えをした。
花植えのあとは6月20日の自治会側溝清掃に備えて土嚢を買いに行った。お昼はラーメンを食べにでた。午後からは放送大学の発達心理学をビデオでみた。その後新潟国体の愛称のチラシを佐野さんの自宅に届け、放送大学の学習センターで臨床心理学特論を聞いた。児童センターにより子どもの様子を見て、帰宅した。
発達心理学のビデオの話である。子どもは6歳くらいになるまでに時間的に逆行した絵を見て、「だってだもーん」といった助詞を使って話を作ることが出来るようになるとのことであった。朝顔の咲いた絵と芽が出た絵を見て、「朝顔が咲いています。だってちゃんと春に芽が出ていだんだもーん」といった可逆的な結論から原因を類推する「逆順方略」ができるようになるというのです。
そのビデオ観ていて、私は注意欠陥症候群の子どもたちはこの「逆順方略」ができないのではないかと考えました。明らかにやって損なことをあえて我慢できないでやってしまうのは、因果関係における結果を類推できないのでは?だから当然逆順方略もできないとの考えです。これは実験の価値があると思います。そして逆順方略を使えば注意欠陥症候群の子どもたちも見えてくるものが出てくるのではとの考えです。(逆順方略とは別に事象順方略・呈示順方略がある。事象順方略はあくまでも話を事象の順に述べることで朝顔の芽が出ました。花が咲きましたとなる。呈示順方略は呈示されたとおりにいうけれど逆転にならないというものです。)
発達心理学と臨床心理学特論には学ばされることが多い。日ごろ職場や平島公園で子ども太たちと接して感じていたことを理論化してくれる強い味方でである。
ということでとても有意義な一日であった。
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写真はイネ科の雑草である。平島公園では一生懸命やっつけたら少なくなった。花と緑の公園を目指して頑張らなくては。 |
5月28日 |
ゆりぐみさん ちゅーりっぷさん |
「ゆりぐみさん」「ちゅーりっぷさん」といってまとめてみんなをよぶことを集団呼称というのだそうだ。このことで特定の人を傷つけることなく、しかも注意する人以外にも注意を喚起させることができるので、集団呼称は保育園や幼稚園でよく使われる。私も「1女・2女・3女」といった集団呼称を使っている。女の子は一人一人を注意すると「なんで私ばかりしかるのよ」と頬を膨らませてけっこう根に持つことが多いからである。褒めるときも同様で特定の個人を「ともこちゃん一人で頑張って草取りしたね」などと褒めると後でその子が周りの子どもにシカトされることも多い。小学生の女の子には集団呼称が有用である。
男の子は個人を特定して叱ってもあまり気にしない。「大悟。何をしているのだ」などといっても「何で俺ばかり怒るの?」などと思わない。褒めるときも一緒で「大悟ちゃんすごい。がんばって草取りしたね。などと褒めても他の男の子はひがまない。男の子は他の男の子どものことなどみていない。
男の子どもが叱られるのをみて、女の子はやって悪いことを学習する。男の子は女の子や他の子どもが叱られるのをみて学習することより自分が直接叱られることのほうが学習しやすい。男の子は他人のことなど考えないから。
もちろんこれは一般論で男の子の内の10人に2人は他人の叱られるのを見て学習するし、女の子の20人の内1人は直接叱られても『自分だけ叱られていやだ』とひがまない子どももいる。でも確率論的にこんな感じと思って、集団呼称をうまく活用すると良いと思う。
集団呼称を多く活用するのは日本人の民族性とも深く関係しているようで、日本人以外でこのような集団呼称が多く使われているとは限らないらしい。その点についてはまた調べてみたい。
集団呼称は良い面もあるけれど、物事をあいまいにする要素も持っている。年金問題で「年金の未加入を国民は絶対に許さない」などと野党議員が言うときも国民といった言い方で自分の考えをみんなの考えとすりかえることも多い。正直、年金の未加入などはたぶん多くの人があるだろうし、義務化前のことをとやかくいうのはよしたらと思っている人のほうが多いように思う。でも「国民は絶対に許さない」といった感じで自分を多数派にしていることが多い。
新しいことをやるには反対が多いものだ。安易に「国民は」などと言わないで「私は」といったほうが良い。その点英語は「I think」で始まる。いつも「私はこう思う」で始まる文化に学ぶ必要性を感じる。 |