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2003年の日記帳 2004年4月〜6月 2004
年10月〜12月
2005年1月〜6月
 9月11日  秋になり
 いつの間にか秋になりました。秋はなんとなく人恋しい季節ですね。みんなでシャボン玉を飛ばしたりして遊びました。シャボン玉が秋風に飛んでいくのはとてもきれいだけれど、なんとなくものがなしくなりますね。
  

 翌日は下田村へキノコ採りに行ったのですが、雨と台風で道が崩れていて吉ヶ平までいけなくなっていました。夏の大雨でススキもいつもの倍の草丈でした。車の中から携帯で撮ったものです。
 

 夏の終わりには夏祭りで踊りを踊ったのですが、その練習風景も
 
 9月14日  愛国主義と国際主義
 私の一言に愛国主義と国際主義について書いておいたのですが、それを日記として記録にとっておきたいと思い、転記しました。


愛国主義  ..ともやん  [URL]  
    愛国主義というとすぐに嫌がる人もいるようだ。昔の軍国主義と同一視されることも多い。対意語として国際主義といわれるようだが、愛国主義と国際主義は本当は対立する概念ではないと言われているし、私もそう思う。

 愛国主義と国際主義のことを書こうと思ったのは、昨日のアジアカップを見ていて、ホスト国である中国の応援する人たちの態度が異様に感じたからだ。明らかに「中国が勝ちさえすれば良い」といった感じの応援だったからだ。これはとても狭い愛国主義で排他主義につながりかねない感じだしたのだ。試合が終わった後に中国の観衆の多くが帰ってしまったことや負けた中国選手への頑張りへの拍手や相手のチームであるの日本選手への拍手も少なかった。とても異様な感じが私はした。

 日本でこの試合があったとしたらと考えてみよう。日本人でも中国チームを中国の人と一緒に応援する人もいるだろうし、試合終了後もほとんどの観客は最後のセレモニーまでいて、たとえ日本チームが負けたとしても相手チームへの賞賛の拍手はするであろう。もちろん多くの日本人は日本チームを応援するし、偏った応援にもなるであろう。けれど異様な排他的雰囲気にはならないように思う。その意味で日本人の愛国主義は健全だと思うのである。

 愛国主義と国際主義は矛盾しない。自分の国を愛する気持ちがなければ他国を愛することはできない。自尊心のない人が他人を尊重することはできない。けれど愛国主義の多くは排他的になりやすいことをいつも念頭に置く必要があると思う。
..210-20-252-53.home.ne.jp..2004/08/08(日) 05:04  No.111
愛国主義の続き  ..ともやん  [URL]
 
    昨日はアジアカップを見てから寝た。朝起きてから上記の文を書いた。その後に朝のNHKの7時のニュースを見た。やはり試合後に中国人サポーターによる騒ぎがあったとのことであった。

 「やはり」と思ったのは、試合中のちょっと異様な中国サポーターのエネルギーと人々が試合が決まると同時にスタジアムよりいなくなったからである。試合中のあれだけの応援のエネルギーは不完全燃焼のままで消えるのがおかしいから「やはり」何かが起きるかもしれないと感じたのだ。

 やはり試合後の揉め事は起きた。こうした揉め事が起きるのは愛国主義が排他主義につながっているからではないか私は思う。愛国主義が排他主義につながるのは為政者が自分の政策ミスを対外関係にすりかえるからである。応援の異様なエネルギーは中国の内政の矛盾や中国政府に対する不満の表れでもあると考えるほうが自然なのである。

 ワールドカップ後のトラブルは過去の日本の中国への戦争の根が深いと問題ではなくて、中国の内政問題を反映しているのだと思う。自分の国を愛する心と他国を尊重する心は両立する。
..210-20-252-53.home.ne.jp..2004/08/08(日) 07:31  No.112
エネルギーの発散の仕方  ..ともやん  [URL]
 
    なんだかんだといっても自分の身内は可愛い。それが負ければ悔しい。応援するエネルギーは大切だが、負けたあとそのエネルギーを発散する手法を考えておくことも必要である。もちろん勝ったときの発散の手法も。

 勝ったときの発散の手法は大喜びでみんなとまちを練り歩くなど簡単である。阪神サポーターのように川に飛び込む人もいるし、優勝パレードもある。

 問題は負けたときである。負けたときのエネルギーの発散は難しい。例えば、負けたときは「明日があるさ」と明日への希望へとつなげることが必要だと思う。負けた後にサポーターと選手が一緒になって明日に向けて健闘をたたえるようなセレモニーを用意することも一つの手法であろう。

 負けたときの悔しさエネルギーを自尊心を傷つけないで、昇華していくかの手法を考えておくことも児童館・児童クラブの活動でも必要と感じる。

 
..210-20-252-53.home.ne.jp..2004/08/08(日) 07:41  No.113

自分の分身(アバター)で楽しもう!「カフェスタ」オープン!


  
  
  
  9月 2日  齋藤孝さんのアイデア革命と放送大学大学院の発達心理学より
 私はときたま考えもなしに本屋で本を買うのが好きである。見た目だけで内容をみないで買うのである。自分の発想以外のことから学ぶためである。半分くらいは当たらない。でも半分くらいは思いもしなかったことを学ぶことができて、うれしいことがある。
「齋藤孝のアイデア革命」(ダイヤモンド社・定価1280円)もその一冊である。紹介ということで無断引用を許してもらうことにしよう。

 齋藤孝さんはその著書の中で「『空欄を埋めよ』型の問題提起がアイディアを生む」と書かれておられる。○○ボックスの○○を埋めるというものである。私も早速昨日の専門学校の授業で学生さん達49名に「児童館実習をして○○したこと」という題でレポートを書かせたら、いつもの「実習をして感じたことを書きなさい」というよりはスムーズであった。また齋藤さんは「ずらす・つなげる」などの作業でY=f(x)のfを考えることの重要性を提案している。
 私も日ごろアイディアを引っ張り出す方法として大きくしてみる・小さくしてみる・作る素材を変えてみる・リズムを変える・音程を変える・対象を換えるなどでゲーム遊びや工作や音楽遊びを開発しているのでとてもよくわかった。
 齋藤さんの著者は読みやすくとても面白いのでぜひ読まれることをオススメする。その中でとくに私の感じていることを明文化してもらったような気がした部分を下記に紹介したい。以下は引用である。(P141/142)

 ●「対話の中からアイディアが生まれる
 大学で講義をしていると、アイデアを出す能力のある学生とない能力の学生の見分けは即座につく。何か課題を与えたとき、次々と斬新な意見を述べる者がいる一方で、頭を抱えてしまったり、ありきたりの発言しかできなかったりする者がいるのである。この差は残酷なまでに歴然としている。
 なぜこのような分化が起きるのか。少なくともそれは”天賦の才”などというものではない。IQや偏差値の差でもない。一言で言うなら、「身体経験の蓄積」の差だ。そしてその経験を自分で認識できるか否かの差だ。
 前にも述べたとおり、アイデアは自分の経験に基づいて出される。それ以上のものは出し得ないし、もし出したとしてもそれは思いつきでしかない。何らかの課題を与えられたとき、豊富な経験の蓄積があれば、そこから答えを導き出すことができる。「合わせ箱」の一辺を25センチにするというアイデアが生まれたのは、長く一般家庭を見てきたという経験があったからだ。ホームベーカリーを完成に導いたのは、プロのパン職人のもとで修行した経験だった。つまり経験の「暗黙知」を「形式知」化させたわけである。
 ただし、自分の身体経験は貧弱だからアイデアも出ない、と思う人もいるかもしれないが、それは違う。人は誰でも少なからず経験を積んでいる。日常生活の中で、さまざまな人やモノに接し、刺激を受け、感慨を持っているはずである。だが、それが「暗黙知」として意識下にとどまり、「形式知」として認識できていないだけなのだ。
 ではこのプロセスを効率的に行う方法は何かといえば、ひとえにコミュニケーションである。人は頭を抱えて考えてみても、暗黙知の認識には限界がある。人と人とが対話することのよって、互いの暗黙知を刺激し合い、言語として認識できるようになるのである。
 例えば親しい間柄で話をしていると、相手の話からインスピレーションを受けて、自分の過去の経験をふと思い出したりすることはよくあるだろう。あるいは、自分では思ってもみなかったような意見や見解が自然と口をついて出てきたりすることもある。それは相手に伝え聞かせようと努力することで、その経験は自動的に言語化される。これを繰り返すことで、相手をより深く理解することができるとともに、自分を知ることになるわけである。
 言い方を換えるなら、対話とは自分と相手の暗黙知とつき合うということなのだ。イメージとしては、互いの脳ミソを混ぜ合わせるという感覚である。こうして共有・蓄積された暗黙知を素地とすれば、そこから生まれるアイデアは間違いなくクオリティーの高いものとなる。それを引き出すことができなければ、その対話は空虚なものにしかならない。

 同様なことが放送大学の発達心理学でも記述されていた。放送大学大学院臨床心理学の中の発達心理学10学校文化のディスコース  −書くこと・考えることー 内田伸子(P183) より以下は引用です。

 ・思想と表現の関係
 以上から、作文を書く過程では、表現したいこと(思想)に合わせてぴったりした表現を選び当てはめていくわけではないことがわかった。ヴィゴツキー(1932/1967)が指摘しているように、作文における意図と表現の関係は「デパートで自分の身体のサイズに合わせて既製服を選ぶのではなく、初めは身体の輪郭もあまりはっきりせず、表現という布を切り取ったり、縫い合わせたりして形を作り出す過程」で、”あっ、そうか””アハー”と納得する主観的体験を経て初めて身体の実態、つまり、表現したかった意図や思想が明確になるような関係なのである。認識の側には表現の方向を規定するが,その方向に沿った表現を探し当てることにより認識が形作られる場合がむしろ多い。認識とことばとは、作り作られる双方向的な、ダイナミックな活動なのである。表象をことば転化することにより、思想ははっきりしてくるだけでなく,書く以前には考えてもみなかった表象が新たに沸いてくる。例えば,日記は,知識を単に記憶を想起して陳述する活動のように思われるかもしれないが,実際に整合的な文脈を造る過程で,新しいものが付け加わり,知識そのものが変容したり変革させられたりする可能性があるのである。

 以上のように対話や日記等の文章化することの中で、暗黙知を形式知にすることや新しい発想を作り上げていくことを意図的に取り組むことが大切と私は考えている。齋藤孝さん・内田伸子さんから学んだことである。

  7月 1日  充実したようなしないような2004年度4月〜6月
 あっという間に7月になった。でも放送大学の大学院で発達心理学と臨床心理学特論をがんばってけっこういろいろなことを勉強できた。

 次世代対策法の行動策定委員の仕事と市民の意見を聞く会も忙しかった。平島公園の草取りも有明児童センターの環境整備もがんばった。充実の4月〜6月ともいえる。

 ADHDのことなども勉強が必要な時期に来て6月の後半はアスペルガー症候群やADHDの本を購入した。アグレッシブな子どもには身体を動かして遊ばせることが役立つことを実感した。

 研修会はひまわりの研修会で安全管理をやり、事故の具体例と対応の仕方について考えた。有明保育園の保護者会では「すぐに切れてしまう子ども」への対応を考えた。
 7月に入り豊栄市の児童クラブ職員の研修があるので、すぐに切れる子どもの対応と安全管理を中心にやろうと考えている。職員の仕事が日常の環境整備が大切なこと・子どものサポーターとしての役割が重要なことなどを中心に話そうと思っている。

 工作ではブルボンからもらった鈴をブックカバーで作る☆につけるアイディアはヒットした。特養のあそか園に教えたし、新潟医療福祉専門学校の授業にも使った。動く・簡単面白い工作を常に考える必要性を大切にと思っている。

 6月20日日曜日に「天国の本屋さん・恋火」をサティーに見に行った。読み聞かせの大切さを再確認した。ブックスタートも大切と思った。それでこどもの科学の植物の本20冊セットを買った。おおばこ・ふきのとう・うめ・たらのめ・かき・ねっこ・どんぐりなど身近な植物のことが多く、自然観察のためにとてもよいものだった。

 夏にむけてソーメン丼も定着できそうだ。ソーメンをゆでておいて冷やして冷やし中華のように食べるというものである。何度かチャレンジしてみた。6時間ほど前にゆでておいても問題がなく美味しく食べられることがわかった。

 秋にむけて宝くじの遊具の手配も児童センターと平島公園にそれぞれ幼児用滑り台を2台手配ができた。

 ボランティアの組織化では一番大事なのは口コミであることが再確認できたように思う。現場はとにかく口コミで宣伝するのが大切である。

 万歩計を使ったランニングや手つなぎオニは効果があった。万歩計は100円ショップで200円以内で買うことができた。

 美空ひばりの「東京キッズ」などをBSでみた。美空ひばりの映画は日本のミュージカルであると感じた。このことは和田あき子さんも言っていた。

 山菜料理ではフキのはっぱも若いうちはフキ味噌のようにして食べると美味しいことが分かった。フキ味噌よりもあっさりしていて良いとの人もいた。フキのはっぱを重曹でゆでて、水にさらしあとはフキノトウと同じようにするというものである。スカンポ味噌も美味しかった。

 
  7月 3日 めおと楽団ジギジギの公演
 チャンスは何でもダボハゼのように」いかすのが私の得意とするところです。今日もバックギャモンの研修会にめおと楽団ジギジギのきよしさんとかおるこさんがやってきました。午後に子どもに楽しい演奏会をやってくれました。そして夜の暑気払いにお父さんたち・お母さんたちと一緒に楽しいひと時を作ってくれました。





携帯で撮ったのですが雰囲気は伝わるでしょうか。

      
 バックギャモンの研修会もありました。子どもも大人も楽しい一日でした。
 なおかおるこさんには素晴らしい得意技があります。それは後日紹介ということにしたいと思います。
  7月18日  うれしかったこと
 7.13水害で三条市や中之島など中越の各都市が被害を受けた。死者も15人以上となった。床上浸水で避難所生活を強いられている人も多い。弟も三条の直江町に住んでいるが、職場は床上浸水にやられて大変だった。高いところに避難させた車もその後水位が高くなり、みんなやられたとのことだった。7月18日(書いている今日)弟の見舞いに行ってきた。
 会社は床上浸水だったが、会社よりも危険の可能性が高いといわれていた弟の自宅は幸い床下浸水も免れた。一時は道具を2階にあげ、新潟市に家族は避難していたが、大丈夫であった。私もうれしかった。
 弟の家が床下浸水・床上浸水とだったら、日曜日・月曜日の連休は家財道具の後片付けの手伝いだっただろう。お見舞いにちょっと寄っただけで新潟市に戻ってきた。

 弟の家を早く出たのには訳もある。今日は第3日曜日で平島公園の草取りの日であった。しかし土曜日の夜の雨で公園がぬれていて草取りを中止にした。草取りは中止にしたが、連日の雨と暑さで草は伸びている。夜の雨はやみ、午後からは公園も乾いてきたので、草取りをしたかった。
 午後3時から始めた。いつもの仲間はいない。そこで平島公園に遊んでいた小学生にお手伝いを頼んだ。私が芝刈り機で刈った草を一輪車で運んでもらうことである。3人の男の子どもが手伝ってくれた。1時間もしていると、芝刈り機の馬力が落ちてきた。刈り取った草がうまく集められないで落ちてしまう。そこに小針小学校のサッカー部の子どもたちが5人遊びにやってきた。かれらにジャスコの黄色のレシートで頂いた飴をサービスし、草を集めるお手伝いを頼んだ。午後5時頃には遊んでいたお父さんが手伝ってくれるようになり、触発されてもう一人・もう一人とお父さんがお手伝いをしてくれた。一緒に遊びにきていた子どもも手伝ってくれて、合計20名くらいの人たちが公園をきれいにしてくれた。午後3時から午後6時まで3時間頑張ったが、とてもうれしい有意義な日であった。最後に3歳くらいの女の子にお手伝いのみんなにキャンディーを配ってもらった。可愛い女の子からキャンディーをもらってみんなうれしそうだった。そして、女の子が最後に「おじさんありがとう」と言ってくれた。私もとてもとてもとてもうれしかった。
     


   

        
 7月27日  2004年の夏休みが始まって
 2004年の夏休みが始まった。プール・児童劇巡回事業・ソーメン流し・海水浴と忙しい日々が続きそうだ。
 
 ロッカーはかばんでいっぱい。体育館は昼食時には子どもでいっぱいになる。

 プールへは60人以上で出かける。


 8月 2日  ソーメン流しをしました。
 ソーメン流しを福祉会館と共催でやりました。民生児童委員の人たちも一緒です。みんなで250人くらいの参加でした。


 8月 5日  プール・プール・プール・プール・プール・海水浴・海水浴
 夏休み前半の峠『プール・プール・プール・プール・プール・海水浴・海水浴』が終わりました。大変だったけれど、やはり水とふれあうことは子どもたちには必要です。怒り・怒鳴り・叱り・注意を繰り返し「自分の生命を自分で守れ」と言い続け、なんとか5回のプール指導と海水浴を終わりました。のべ366人くらいの参加者でした。ちょうど1年と同じのべ人数でした。プールが1回60人で5回。海水浴が35人一回と31人が一回でした。
 結果は写真で見ていただくとわかると思うのです。論より証拠です。














 子どもは元気で生き生きが一番ですね。
 8月 8日  愛国主義について
 日本と中国のサッカーの決勝戦があった。アジアカップのテレビ観戦を通して感じたことを「私の一言」で書いたのだが、それを記録の意味で日記帳にコピーした。

愛国主義  ..ともやん  [URL]   返信
 
    愛国主義というとすぐに嫌がる人もいるようだ。昔の軍国主義と同一視されることも多い。対意語として国際主義といわれるようだが、愛国主義と国際主義は本当は対立する概念ではないと言われているし、私もそう思う。

 愛国主義と国際主義のことを書こうと思ったのは、昨日のアジアカップを見ていて、ホスト国である中国の応援する人たちの態度が異様に感じたからだ。明らかに「中国が勝ちさえすれば良い」といった感じの応援だったからだ。これはとても狭い愛国主義で排他主義につながりかねない感じだしたのだ。試合が終わった後に中国の観衆の多くが帰ってしまったことや負けた中国選手への頑張りへの拍手や相手のチームであるの本選手への拍手も少なかった。とても異様な感じが私はした。

 日本でこの試合があったとしたらと考えてみよう。日本人でも中国チームを中国の人と一緒に応援する人もいるだろうし、試合終了後もほとんどの観客は最後のセレモニーまでいて、たとえ日本チームが負けたとしても相手チームへの賞賛の拍手はするであろう。もちろん多くの日本人は日本チームを応援するし、偏った応援にもなるであろう。けれど異様な排他的雰囲気にはならないように思う。その意味で日本人の愛国主義は健全だと思うのである。

 愛国主義と国際主義は矛盾しない。自分の国を愛する気持ちがなければ他国を愛することはできない。自尊心のない人が他人を尊重することはできない。けれど愛国主義の多くは排他的になりやすいことをいつも念頭に置く必要があると思う。
..210-20-252-53.home.ne.jp..2004/08/08(日) 05:04  No.111
愛国主義の続き  ..ともやん  [URL]
 
    昨日はアジアカップを見てから寝た。朝起きてから上記の文を書いた。その後に朝のNHKの7時のニュースを見た。やはり試合後に中国人サポーターによる騒ぎがあったとのことであった。

 「やはり」と思ったのは、試合中のちょっと異様な中国サポーターのエネルギーと人々が試合が決まると同時にスタジアムよりいなくなったからである。試合中のあれだけの応援のエネルギーは不完全燃焼のままで消えるのがおかしいから「やはり」何かが起きるかもしれないと感じたのだ。

 やはり試合後の揉め事は起きた。こうした揉め事が起きるのは愛国主義が排他主義につながっているからではないか私は思う。愛国主義が排他主義につながるのは為政者が自分の政策ミスを対外関係にすりかえるからである。応援の異様なエネルギーは中国の内政の矛盾や中国政府に対する不満の表れでもあると考えるほうが自然なのである。

 アジアカップ後のトラブルは過去の日本の中国への戦争の根が深いと問題ではなくて、中国の内政問題を反映しているのだと思う。自分の国を愛する心と他国を尊重する心は両立する。
..210-20-252-53.home.ne.jp..2004/08/08(日) 07:31  No.112
エネルギーの発散の仕方  ..ともやん  [URL]
 
    なんだかんだといっても自分の身内は可愛い。それが負ければ悔しい。応援するエネルギーは大切だが、負けたあとそのエネルギーを発散する手法を考えておくことも必要である。もちろん勝ったときの発散の手法も。

 勝ったときの発散の手法は大喜びでみんなとまちを練り歩くなど簡単である。阪神サポーターのように川に飛び込む人もいるし、優勝パレードもある。

 問題は負けたときである。負けたときのエネルギーの発散は難しい。例えば、負けたときは「明日があるさ」と明日への希望へとつなげることが必要だと思う。負けた後にサポーターと選手が一緒になって明日に向けて健闘をたたえるようなセレモニーを用意することも一つの手法であろう。

 負けたときの悔しさエネルギーを自尊心を傷つけないで、昇華していくかの手法を考えておくことも児童館・児童クラブの活動でも必要と感じる。

 
..210-20-252-53.home.ne.jp..2004/08/08(日) 07:41  No.113
 8月15日  8月15日は終戦記念日ではない
 8月15日は終戦記念日ではない。「」付き左翼がいうように敗戦記念日と言うわけでもない。テレビをみていたら、8月15日は停戦を受諾しただけだから、ちゃんとミズリー号での条約が結ばれるまでは戦争が終わったとの表現はおかしいというのである。
 以下は引用である。

 そもそも『ポツダム宣言』とは、米(アメリカ)・英(イギリス)・中(支那)三国宣言とも呼ばれ、昭和20(1945年)年7月26日(〜8月2日)、先に敗戦したドイツの首都・ベルリン郊外のポツダムにおける、トルーマン・米大統領、チャーチル・英首相、スターリン・ソ連首相の三巨頭による会談によって( いわゆる「ポツダム会談」)決定された対日戦争終結条件を、支那(蒋介石政権)の同意を得て発表したものである。

 ということでソ連との停戦協定というわけではないので、ソ連がポツダム宣言の受諾後に攻撃してくるというのはありうる。だからといってソ連を支持しているわけではない。

 感情的に物を思うこととそれを言葉に表現することとは違うことなのであろう。

 感情的といえば有明の子どもたちはとても可愛い。可愛い写真を。










 それに実習生とあかちゃんの写真も


 この子どもたちが生き生きと生きていける社会を作るために大人は出来ることを出来る範囲でやらなければならないと思う。これは感情的なことである。この感情を現実に落としたときにある程度冷静に事務的にこなしていかなくてはいけないことも同時に知っておく必要があるということを感じた。

 昭和20年の8月15日からもう60年が過ぎようとしている。

 8月18日  ウサギ年生まれ
[235] うさぎ 投稿者:ともやん 投稿日:2004/08/18(Wed) 01:58  
 ウサギと言えば私はウサギ年生まれです。1951年の1月23日生まれなのです。早生まれで回りはみんなトラなので自分ではいじめられて育ってきたように考えていました。小学生時代は小さくて少食でしたし。

 大学のときに古町を歩いていて手相を酔った勢いでみてもらったことがあります。生年月日を聞かれ、
『あなたはトラ年・寅年生まれ』と言われました。

 『ウサギですけれど』と言ったら、太陰暦でみるから寅年になるとのことでした。太陽暦で1月生まれの人の多くは太陰暦では旧12月生まれということになるのだそうです。

 自分が可愛いウサギと思っていたのが、トラ年とわかって強くなったように思いました。友達に話をしたら、
『その顔でウサギはおかしい。トラでよい。性格もきついし』と納得されてしまいました。
 8月22日   夏休みの反省
夏休み第1週はプールと児童劇巡回事業・第2週は海水浴とソーメン流し・第3週はお盆をかけてで比較的のんびりとユニット折り紙をした。第4週はオニム大会と工作週間と買い物ごっこと順調に経過してきた。
 いよいよ第5週である。ダンスの練習と有明夏祭りで打ち止めとなる。毎日150人〜170人くらいの子どもを相手によくがんばったものだ。各週ごとに変化をつけたのが良かったね。

 もう一週間事故なく有意義にと思う。
 
 それにしても暑さと台風による雨で草取りも大変だった。子どもたちとやるだけでなくて、8日の日曜日と21日の朝に子どものいないときを狙って草払い機で草取りをしたが、暑さと草の伸びで大変であった。それに平島公園の草取りが1日と13日・新発田の草取りが11日と休みは草取りだらけだった。こういう夏は仕方がないですね。でも環境整備こそが児童健全育成であることが実証できたように思う。

 第2に夏休みを通して子どもは子ども同士の切磋琢磨で伸びることがわかったことである。他人数の子どもがいると危険が増大する。事故のないように子どもたちをしっかり叱ることが必要である。子どもたちは叱られて叱られて成長する。
 また危険な行為や不当な言動は絶対にしっかりみんなで叱り、時には実力で取り締まることも定着した。このことで安全な場所が保証でき、児童センターや平島公園で遊ぶことをみんなが楽しむようになった。
 児童館・児童クラブ・児童遊園の職員やボランティアの仕事は子どもの遊び相手ではない。環境整備と安全管理そして危険な行為をする子どもをしっかり叱り、子ども同士の切磋琢磨を保障することである。

 第3に児童センターの子ども全員で同じことをやることの定着を図った。朝の学習タイム・その後の作業は全職員・ボランティア・子どもが全員でやり、館内で自己中心的な活動は禁止した。
 昼食タイムとその後の映画・ゲームタイムも一緒で第4週からは自由来館児童もおやつタイムも一緒とした。朝から晩まで自由ではなくて規制タイムを入れることによって、自由なタイムがなお相対的に自由となった。自由来館児童・大人・ボランティアも含めて同一行動を一定時間やるようにしたことはとても安全管理及上も価値があった。というのは全員を集合させて草取りやお昼を食べたりするので児童センターでの注意事項をきちんと徹底することができたのである。


 第4にADHD・自閉症・アスペルガー症候群など障害児の子どもも毎日3人以上来館したが、来館者全員に障害児等への差別的言動やいじめ等をさせないことの徹底を図ることが出来た。同時に障害児にも基本的なことは守らせることを徹底した。障害児はとかく自己中心的なことをしても自分だけは許されるという甘えが本人にも保護者にもある。こうした甘えは行動療法的にきちんと禁止をした。同時に褒めるところは褒め、自由に出来るところでは自由に身体を動かすことを意図的に行った。結果として障害児童の情緒的・行動面的な安定が図られた。

 第5に職員とボランティアと実習生の質的向上を図った。人数が多くいるよりも一人一人の能力が質的に高いことが子どもに良い影響を与えるとの考えである。職員・ボランティア・実習生が献身的にごみ拾い・後片付け・靴揃え・トイレのスリッパ揃え・遊具の修繕・草取り・木の剪定をすることで自信を持って子どもを叱ることができるようにした。また一緒の活動をやるので、活動の中で互いの子どもの指導方法などを学ぶことができるようにした。20人の子どもを一人で見ることから100人の子どもを3人で扱うという手法である。時には150人の子どもを3人で指導するときもあった。こうした活動で職員・ボランティア・実習生の相互理解と切磋琢磨の機会ができた。

 第6に社会的資源の活用である。児童劇巡回事業では財団・新潟県・地域組織活動・保育園との連携があった。ソーメン流しでは福祉会館・民協・自治会との連携・ディキャンプでは公民館・自治会・平島公園クラブ・仲良し会との連携・オニム大会ではひまわりクラブとの連携・最後の祭では病院・特養・経費老人ホーム・保育園・福祉会館・自治会・民協・救護施設・老人センターんどとの共催行事となる。

 今後に向けて
 少子化と子どもの問題行動が続く中で子どもを集中させ、異年齢・異世代の切磋琢磨を通して子どもの健全育成を図ることが必要と思われる。そのためには環境整備・児童の登録化・グループティーチング・質の高いグループワーク・質の高いボランティア職員の育成・社会的資源の積極的活用などを今後とも行っていくことが必要であると思う。

今日は多忙であった。月末に近づいてクラブ費の銀行振替や会計処理の事務仕事・ふれあい夏祭りの準備・ダンスの練習などでてんてこ舞いだった。




      8月26日のこと(うれしかったこと)


 祭の準備の関係で5時30分を過ぎて遊戯室にいったら、実習生と子どもたちがドッジボールをやっていた。(ラストタイムプレーといって、5時15分から45分くらいまで一緒に遊ぶ)
http://members.ecatv.home.ne.jp/tomoyant/asobi/dojji.html
 私がいないので子どもたちはわがまま放題であった。黙ってみていたが、途中で強く叱った。このときに新潟大学の4年生の男子学生も一緒に遊んでいた。彼は平島公園をきれいにする仲間で、書道をやっている。

 6時過ぎになり、実習生も帰り、ちょっと保護者の迎えの遅い子どもを除いて職員も帰ったが、彼はまだセンターにいる。何か話があるのかなと思った。

 遅くなった子どもの迎えも到着し、彼と一緒に待っていてくれた同僚と3人になったら、話をし始めた。彼の話は
「私は母子家庭に育ち、怒鳴り声を聞くことがなかった。そのために他人が怒鳴るのを聞くと固まってしまう。今日も固まってしまった。それに田中さんは平島公園では怒鳴ることなどないので、それにもビックリした」というのである。

 私は
「まず固まってしまう自分をおかしいと思う必要もないし、怒鳴る人間をおかしいと思う必要もないと思う。矛盾するようだけれど両方とも正しいと思うと考えるのが良いと思う。私自身は本当は怒鳴るのは好きでないし、平島公園のように怒鳴る必要のないところでは怒鳴らない。でもここでは100人以上の子どもの生命を守っている。危険な行為はさせないために怒鳴ることも必要で、平島公園での私もここで怒鳴っている私も矛盾していない」と話をした。彼も固まる自分がトラウマのように思えていたとのことで
「固まってもそれでよしと思うとずいぶん楽になりました。それにしても田中さんのまったく別な姿をみてビックリした。ほとんど怒ることを知らないような人と今まで思っていた」との話でした。

 日ごろは職場でしか見られていないので「怒鳴りの田中」みたいに私は言われています。温和で暖かく怒ることを知らないようなイメージを持ってくれている人もいると思うとうれしかった。


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