体罰と犯罪の論理について

  体罰が是か非かの問題はいろいろなところで論議されている。体罰否定論者は「いかなる体罰もいけない」と主張し、体罰肯定論者は「時と場合で体罰が必要な時がある」と主張している。この問題について私なりの方向性を出す必要性があると考える。
 最近一つ気づいたことがある。そもそも体罰が是か非かの土俵が間違っているとのことである。体罰の禁止は学校教育法第11条に定められている。
 第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
 つまり教育を行う手段として懲戒権を持っているが、その懲戒権の中に体罰(たい‐ばつ【体罰】身体に直接に苦痛を与える罰。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版])は含まれないというものである。身体に直接的な苦痛を与える罰をしてはいけないことは教育の手段として当然であることは正しい。これは認めなければならない。
 刑法上の関係する条文を下記に書いてみる。

(殺人)
第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する
(傷害)
第二百四条  人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
(傷害致死)
第二百五条  身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期懲役に処する。
(現場助勢)
第二百六条  前二条の犯罪が行われるに当たり、現場において勢いを助けた者は、自ら人を傷害しなくても、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
(同時傷害の特例)
第二百七条  二人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、又はその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、共同して実行した者でなくても、共犯の例による。
(暴行)
第二百八条  暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、二年以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
(侮辱)
第231条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。
(過失傷害)
第二百九条  過失により人を傷害した者は、三十万円以下の罰金又は科料に処する。


 体罰とは別に不当な暴力等が振るわれることは当然として禁止されなければならない。不当な暴力をさせないために公権力による実力行使や個々人による正当防衛権が存在する。私は教育を行う手段としての体罰は禁止することに賛成であるが、それは不当な暴力に対する公権力による実力行使と個々人による正当防衛権の下位のカテゴリーであると思うのである。
 教員や大人が子どもに対して不当な暴力を振るうことは体罰以前の問題で間違いである。同時に子どもによる他の弱い子どもや教員に対する不当な暴力行為も間違いである。不当な暴力行為がなされた場合に子どもも自分を守る正当防衛権を有するし、教員も正当防衛権を有する。またここで考えなければいけないのは弱い子どもへの強い子どもによる不当な暴力行為を誰が守るかとの問題が存在する。明らかな体力の違いがある場合に個々人は自分の正当防衛権を行使することはできない。その場合に保護監督責任のあるものは弱いものに代わって正当防衛権を行使し、守ってやる必要性がある。(もちろん過剰防衛になってはいけないが)弱者に代わって正当防衛権の行使が体罰の禁止との名目で禁止されるとすれば被害者の権利は保障されない。
 学級崩壊・学校崩壊等の事態は不当な暴力を振るう子どもを見逃すことにもある。そして弱者を守るための正当防衛のための実力行使権を禁止し、結果として不当な暴力を助長することになっていると私は思う。
 体罰は禁止である。しかしながら不当な暴力に対してはきちんとして実力行使も必要である。(もちろん正当防衛権の発動の範疇で)体罰の禁止問題と不当な暴力から弱者をどのように守るべきかを全く違う問題として考えるべきであると私は思うのである。

  体罰の問題と正当防衛権
 正当防衛権は刑法の規定である。
正当行為)
第35条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。
(正当防衛)
第36条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
(緊急避難)
第37条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

 しかも正当防衛権は日本国憲法に基本的人権を守るための主要な考え方の一つであり、教育基本法の下位カテゴリーである学校教育法第11条が規定する教職員の懲戒権とは別なものと考える必要がある。
 私たちは現場で仕事をしている。観念の世界で論議をしているのではない。現場の事実上の問題で不当な暴力行為でいじめられたり、授業妨害をされたり、けがをさせられたりしている子どもの存在がある。被害を受けている子どもたちをどのようにして守るかを考える必要性がある。「体罰の禁止」なる言葉は不当な暴力を振るう子どもの隠れみのになっていることも事実である。教員や大人が「叩いてはいけない」との主張があることを逆手にとって「怖いものなし」の不当な暴力を振るう子どもに対してどのように対処するかが問題であると私は思うのである。
 「不当な暴力は許されない。不当な暴力を振るう権利はない。不当な暴力を振るえば公権力もしくは正当防衛権が行使され、実力行使がなされる」ということを教育上も衆知されることが必要であると私は考える。
 また子どもたちは他人にけがをさせても「わざとではない」と主張することがあるが、故意であろうが故意でなかろうが、他人を傷つけるような行為をしてはいけないことは刑法209条に過失傷害があることからも明らかである。故意か未必の故意か過失かによって、被害者の肉体的被害が軽減されるわけではないのである。

 正当防衛権としての行為(=実力行使)の内容はどのようなものがあるかについて
 結局、不当な暴力行為に対して対抗する行為であるから、過剰防衛でない場合においていろいろな場合があるといえよう。大阪の池田小学校事件のような犯罪者が侵入した場合であれば、それこそありとあらゆる手法を講じて子どもを守るために対抗する必要があるだろう。児童館も保育園も学校も真剣にこうした場合の実力行使の手法をきちんと対処しなければいけない状況に来ている。まさに危機管理が問われる時代である。しかし例えば宿題を忘れたといって子どもを叩くならばそれは全くの不当な暴力行為である。(息子が1ヶ月の間に鍵をかけないで連続して3台の自転車を盗まれた。3台目の自転車を盗まれた時に怒って叩いたことがありますが、これは親としての懲戒権かな。というかあきれてしまってという感じでした。こうしたことも「体罰の禁止」と言えるかは難しいと思いますが)

   暴力のこと
権力は腐敗する・暴力は麻痺する。
 ユングの言葉です。権力を持つとその権力は腐敗を始めます。常に権力は他人のチェックを受けることを意識的に行うことが必要と思います。
 暴力を振るうことは次第に麻痺していきます。児童虐待などはその典型のような気がします。権力と暴力には常に警戒心が必要とのユングの警告が好きです。
 上記は私のプロフェールの中で好きな言葉として紹介したものです。「体罰禁止論者」が大人や教員等が体罰を振るうから子どもも暴力を振るうと言いますが、それは間違いです。人間は人間の本質として助け合いの心と同時に暴力性を内在する存在であると私は思います。ユングは権力と暴力の本質(人の本能の中にある)を理解して警告を発していると私は思うのです。
 子どもも人間ですから、小学校の2年生くらいから急速に自己の中に内在する暴力的な衝動が突き上げてきます。この暴力性をうまくコントロールしていくことが大切と思います。サッカー・野球・ドッジボール・すもう・かけっこ・ダンス・空手・少林寺などルールあるケンカ(=私はルールあるケンカが遊びではないかと考えている)=遊びを通して子どもたちそして大人の暴力性をうまくコントロールしていくことが必要であると考えている。「体罰禁止論者」が大騒ぎするように体罰があるから不当な暴力が出てくるのではなくて、人間の本質として突き上げてくる暴力性が不当な暴力の発現となっているのである。コントロールされない暴力性に対して「そんな他人に迷惑をかけるようなことをして良いか悪いかしっかりと考えなさい。あなたは何を考えているのですか」などと言っても仕方が無いのである。「棒を振り回したこの手は悪い。でもあなたは良い子である」と言ってやれば良いのである。そして棒を振り回さないで危険でない場所で野球のバットの素振りをすることを教えてあげてほめれば良いのである。この野球の練習にお父さんも巻き込めば親子関係を築くことにもなる。
 人間には本質として暴力性が備わっている。このことを自覚してこれをコントロールすることが大切であることを自覚することが必要である。そして無意味で無慈悲で不当な暴力が子どもの手によって行われた時に親が子どもに手を上げることの全てが法的に禁止されているわけではない。だが親が子どもに手をあげる(=躾と言われることがある)行為自体もやはり暴力性を内在しているわけで警戒心を持つことが必要であろう。

   現実論&男の子女の子
 私の仲間には男の子どもを3人育てているお母さんが4人ほどいる。このお母さん達は殺気を感じる能力を持っている。子どもが後ろから蹴りを入れてきてもさっとかわせるくらいのことはできる。そして、女というよりはほぼ男と一緒の発想となり、日々子どもたちと格闘をしている。叩いたり、叩かれたりなどは日常茶飯事である。
 私は男の子を3人持つお母さんに「子どもを叩くのは仕方がないとしても、叩くなら悪いことをした手か足を叩くことにして頭を叩かないようにしたら良いと思います。」と提案している。すると「本当に男の子を3人も育てているとついカッとなって叩くことがある。そうか頭を叩かないで悪いことをした手と足を叩くのは良いアイディアですね」と言ってくれ、けっこう実行してくれて良い親子関係になっていくことが多い。
 おおよそ男の子はアグレッシブで暴力性を内在しているから男の子3人のケンカはすさまじいものがある。母親も時に女であることを忘れてしまうことすらあるのだ。そうした現状の中で現実的な対処の仕方を考える必要性(この場合危険なことをした手と足を叩き、あなたは良い子と抱きしめてやる)があると思うのである。
 これに対して女の子は社会的参照の能力が優れている。社会的参照の能力というのは子どもが何かをする時にアタッチメントの対象である人の反応を見てから自分の行動を決めるという能力である。
 女の子は何か行動する時には周りの様子をみてから、実行することが多いのである。だから面白くないことがあったからといってすぐに暴力に訴えることは少ない。その結果、アグレッシブな行動は少なくなる。女の子どものお母さんは怒鳴ることも少なくすみ、女を維持することができる。
 もちろん男の子の中にもどちらかというと女性性的な子どももいるし、女の子どもの中にも男性性的な子どももいる。男の子の中の男性性的な子どもが10人中9人で、女性性的な子どもが10人中1人といった感じであり、女の子はその反対であると私は感じている。
 体罰の禁止・体罰の容認等の考え方の中にその人の家族関係や親子関係などにも影響されている要素があるのではと私は思う。体罰禁止という人の多くは女の子もしくは優しい男の子どもを持っている人が多く、体罰は必要という人の多くはアグレッシブな男の子を持つ人が多いように思う。また、保育園や幼稚園などの幼児を相手にしている人は体罰禁止との考えが強く、小学校高学年や中高校生を相手にしている人には体罰を必要悪と考えている人が多いように私は思う。しかしながら現実はかわいい乳幼児からどでかい中高校生の男の子・社会的参照能力の高い子どももいればアグレッシブな子どももいる。また自らも持つ暴力性に振り回されている子どももいるのである。現実論として暴力をどのように克服し、コントロールするかの具体的な手法を提供しないで観念的に暴力や体罰のことを議論するのは無意味ではないかと私は思う。

    暴力及び体罰を巡る二面性
 体罰絶対禁止・体罰は必要との議論の中で是か非かといった現実の状況を無視した二分法・単純論がはびこっているように思う。一般的に例えば暴力を振るうことは間違いかと聞かれれば間違いである。暴力を振るったものは罰せられるべきかとなると罰せられるが正しい。この結果暴力を振るったものは罰せられる。国家権力は罰する権力を有する。結果的にファッショな国家となることすらあるのである。
 暴力が振るう時には振るうだけの訳があるのである。小学校の後半から男の子はすさまじい暴力への衝動性みたいなのが突き上げられてくる。こうした暴力の衝動をうまくコントロールする仕組みがなく、逆に暴力を助長するような社会であれば、暴力ははびこるであろう。常にTPOを考えて対処しなければ一般的に暴力の是非だけを問うのはおかしいと思うのである。同様に体罰の問題も一緒である。家庭内暴力のある状況下でも学校内においてのある状況下においても実力行使が必要な時はある。この実力行使をすべて「体罰」「体罰禁止」「体罰があるから暴力が助長される」と言ってしまうと問題が解決されるのでなく、問題をさらに深刻化させてしまう。
 私が体罰や暴力の問題を再三に渡って問題にしているのはこの点をきちんとしておかないとある時「体罰容認」と世論が急激に変化し、「子どもは殴ることによって成長する」といったふうになってしまうこともあることを心配しているからだ。ついこの間まで「自衛隊反対」といっていた人がテポドン発射ということになると「日本の防衛は大丈夫か。政府は何をしているのか」といった主張に衣替えすることが多いからだ。
 体罰・暴力の問題はもっときちんと検証される必要性がある。非行・犯罪に対して普通の人が持っている「しろうと理論」があるという。暗黙の了解・経験の理論・確証の理論・納得の理論・二分法・単純論などである。このしろうと理論に陥らないためにもきちんとした検証を行う必要性があると私は思う。

  犯罪とは何か
暴力や体罰を考える時に犯罪や非行とは何かを考える必要があると思う。暴力や体罰は犯罪・非行とあるところは一致し、あるところでは違った面を持っているからである。
 犯罪とは何か。社会心理学特論の中で第9章に非行・犯罪の理解がある。(この中に上記の犯罪・非行の陥りやすい「しろうと理論」についても述べられている。)
 犯罪とは第一に行動である。意識過程や心的内的過程そのものが犯罪的であるわけではない。問題となるのは心的過程が言語としてあるいは行動として外に顕れたときである。
 第二に犯罪は他者に影響を与える行動・社会的行動としてあることである。そしてその影響が誰かに悪影響・マイナスの影響・困った影響・悩ませる影響・苦しませる影響を与えるものである。
 第三に犯罪は加害者ー被害者関係である。他者に悪影響を与える行為者が加害者で与えられる者が被害者である。犯罪行為は両者の関係で起きるが、その両者は利害を反対方向に持ち、相互に否定しようとする関係である。
 第四に犯罪は当事者以外の第3者・裁定者が存在する。被害者に悪影響を及ぼす全てが犯罪であるわけではない。加害者・被害者と直接関係ない第三者が、これは犯罪であると認定するという異なる要素が加わることとなる。

 
 犯罪には犯行手口がある。犯行手口において加害者が犯罪を実行する場合、発生場面で被害者より優位となる方法をとる。被害者の抵抗を削ぎ、加害者側を優位とする手法は以下の三つとなる。
@加害者と被害者の関係において加害者が物理的力を行使し、犯行を可能とするもので単純で暴力的な手口
A多くの窃盗犯や万引きにみられるように犯行場面を被害者に気づかせないことである。
B詐欺犯に該当するもので加害者を被害者の協力者のように誤解させて被害者の抵抗力を削ぐ。

 以上の三つの手口があるという。
 犯罪とは何かということから考えてみると子どもたちが暴力的な行為や言動をして他人を傷つけた場合に「いったいあなたは何を考えているの」等の叱責は有意義でないと思うのである。というのは叱られるべきは「考えたこと」ではなくて「実行されたこと」だからである。犯罪であれ、暴力的な行為であれ、過失によって他人を傷つけたことであれ、「考えたこと」を叱るのではなくて、「行動されたこと」を叱るべきであろう。
 犯罪は加害者ー被害者関係である。暴力的な衝動をスポーツでうまく発散させれば加害者ー被害者関係にはならない。
 学校や児童館においても犯罪的な行為は存在するわけだから、客観的な第3者の存在をきちんとおくことが必要である。その意味で学校や児童館や児童クラブでは地域のボランティアの受け入れを促進し、閉鎖性を乗り越えることが必要とされる時代に来ているのではないだろうか。
 犯罪の手口から考えた場合、暴力的行為や犯罪・非行(かつあげなど)などが力関係で実行されるならば、力関係において弱者が弱くならないような手法を考えるべきである。例えば暴力を振るう子どもに対して教職員や児童館の職員が一丸となって立ち向かえば暴力的強者は強者ではなくなるであろう。地域のボランティアや保護者が学校や児童館・児童クラブのボランティアとして多数仲間になることも有用である。
 犯罪が窃盗犯的に行われる場合である。児童館とか学校においても他人の物をこっそりと盗むことは多いものである。またみんなの注目をあびたいがために他人の物を隠して楽しんでいる場合もある。こうした場合には監視体制を強くする。部屋の仕切りをなくして全体がみれるようにする。多くの住民が相互に地域の中で見回りをするなどして盗むことができないようにすることである。
 詐欺的な行為については児童館や学校で考えてみると上級生が下級生に安いカードを高いものだと偽って売りつけるなどの行為や社会におけるオレオレ詐欺などもこれに該当する。こうした詐欺行為や詐欺的非行には正しい知識を伝えることが必要である。
 以上のようにみてくると犯罪と非行は似たものであり、対処の仕方も同様であると考えることができるのではないだろうか。
 「体罰」と言われるものの中にも完全に「犯罪」「不当な暴力」であるものもあるだろう。上記の犯罪理論に照らし合わせて検証及び対処をする必要性があると思う。同時に子どものアグレッシブな行動の中にも「不当な暴力性」もある。また万引きや詐欺的な行為も多く存在している。こうした子どもの中にもある犯罪性(もちろん大人にも教員にも児童館職員にもある犯罪性)が行動として顕れないようにするための手法をきちんと考えることが大切なことだと私は考えている。

    子どもと遊びとケンカと暴力と体罰
 このところ連続で体罰問題について日記に書いていた。そしたら友達から電話が来た。「何かありましたか」とのこと。遊びの現場ではいろいろなことを起きうる。安全管理を最優先しているが、相手が元気な子どものこと事故が絶対に起きないということはない。友達は事故でも起きたのではと心配してくれたのだ。友達はありがたい。
 でも大丈夫です。事故が起きたのではなくて、事故を起こさないために、犯罪・非行・不当な暴力・体罰などについて整理をしておきたいと考えて連続で体罰の問題について書いているところです。
 安全管理の問題と体罰問題がどのように関係するかというと少子時代の中で自己中心の親子が増加し、子ども同士のケンカによる子どもの怪我やいじめなどが増加していて、それをどう防ぐかの手法が考えられなければいけない時期に来ていることです。そしていわゆる「体罰禁止」が不当な暴力を振るう子どもを助長していることもあるのです。「先こう。殴ってみろ。お前達は体罰が禁止されている。殴ったら首が飛ぶぞ」などとうそぶいて不当な暴力や言動を続けている子どもも多いからです。
 基本的な考えを再度繰り返すともう「体罰」良し悪しの論議はやめるべきだと思います。不当な暴力は許されないのです。「体罰」との名目であろうが、「遊び」の範疇という名目での子ども同士のいじめであろうが、非行であろうが不当な暴力的行為は許されてはいけない。不当な暴力的行為であるかいなかはしろうと理論で考えないで犯罪の論理と手口をしっかりと把握することによって理解ができると思うのである。そして不当な暴力を防ぐ具体的な手法を考える必要性がある。

 上記のことを前提にして、子どもの遊びの中におけるケンカについて考えてみたい。
 子どもにも大人にも人間の本能的な衝動として暴力性が内在されている。この暴力性をいかにコントロールするかは大切な問題である。(体罰があるから子ども達も暴力を振るうなどとの考えは幼稚であると私は思う。)人間の中にある暴力性がそのままに顕れてしまうと危険性が出てくる。そこで遊びはある意味では人間の中にある暴力性をコントロールすることによって暴力性を昇華するものではないかと私は思っている。つまり遊びはルールあるケンカと考えることができるのである。
 考えてみれば相撲は転ばしあいだし、野球は棒でボールを殴るようなものだ。ドッジボールはボールのぶつけ合い、だるまさんが転んだはあらさがし、水鉄砲遊びは水のかけ合い、じゃんけん遊びはやつけあいということもできる。手つなぎオニはオニ増やし、陣取りゲームは陣地とり合戦、将棋は駒の取り合いと王様殺し、七並べは意地悪しあいともいえる。
 折り紙や絵を描く、歌を歌うような表現遊びはケンカではないのではとの意見もあるであろう。でも考えてみると折り紙で自分の思い通りに折れなくてイライラして紙をめちゃくちゃにすることがある。表現遊びなどはまさに自己との格闘であるといえるからまさに自己とのケンカである。つまり遊びとはルールのあるケンカなのである。
 子どもたちがケンカをしたら、「ケンカをしないで仲良く遊びなさい」と大人はよく言うことがある。遊びをルールのあるケンカと考えるとケンカをしないことには遊びはできないのである。現場にいる職員なら「ケンカをしないで」ということが実は意味のないことであることを実感していることであろう。そこでは初めからケンカを前提に子どもたちと接する方法を考える必要が出てきたのである。
 
 少子時代の中で遊びを通して子どもの暴力性をコントロールし、昇華していくことは大切である。しかしながらその遊びを習得していく過程とは少子時代の中ですぐに切れてルールあるケンカから本物の大ゲンカになることが多々あるのである。相撲をやっていて負けたといって「蹴飛ばしてくる」子ども、野球のセーフ・アウトの小競り合いからバットで他人を殴る子ども、ドミノ遊びで気にくわないといってドミノを投げつける子どもなどがいる。ルールある遊びがいつの間にか本物モードのケンカになっていく。基本的には本物モードになったケンカは引き離して冷却期間をおくことが必要である。またルールあるケンカとしての遊びから小競り合い・そして中ゲンカ・大ゲンカとなり、重篤な事態に陥らないようにすることが大切である。小ゲンカは見守り、中ゲンカは注意をし、大ゲンカになりそうならば引き離すことが必要となる。
 現場の職員として考えなければならないのは一瞬の隙にケンカの中で不当な暴力が振るわれてしまった場合である。この時にまず痛い目にあってしまった子どもをどうするかの問題がある。同時に不当な暴力を振るった子どもをどうするかの問題が生じる。基本的な問題として他人に怪我を負わせるような行為をしてはいけないことを躾けることが必要である。また、相手の痛みをきちんと自分の痛みとして理解することが必要であると私は思う。
 人間の手や足は丈夫にできている。それに対して目とか鼻とかお腹や背中・脳は弱い。だから人間は手か足で他人を叩く。やはり不当な暴力を振るった「この手は悪い。でもあなたは良い子」と子どもの視線のさらに下からunderstandして痛みを共有することも必要である場合もある。これは遊びの中のロールプレーとしてとらえることが必要であろう。こうした繰り返しを何度も何度もやることによって、子どもたちはルールあるケンカとしての遊びを習得していくのではないかと思う。
 私自身の今までの経験からすると不当な暴力を振るう子どもは楽しい遊びの遊び方をたくさん習得していないことが多いように思う。人間が自分の暴力性を昇華するためにはたくさんの有意義な遊びを習得していくことが一つの大切なことではないかと思う。遊びを習得するためには当然いざこざが生じる。そのいざこざの解決の手法を今後とも見つけていくことが必要である。
 下記は子どもと遊びとケンカについてのものである。
 http://www.na.rim.or.jp/~tomoyan/sennmongakkou/kennka.htm

   体罰・犯罪・環境整備・安全管理
 体罰・犯罪と環境整備は一見関係なさそうであるが、実は大きな関係性があると私は思っている。犯罪・非行等が行われる場合にそれなりに環境は良いものではない。逆に環境整備をきちんとすれば犯罪や非行は減ると考えられる。これはニューヨークなどにおける犯罪を減らすために環境整備を行ったことで効果があった事例からも効果があると考えられる。
(80年代のニューヨークは凶悪犯罪が多発していました。治安回復の為に市がとった対策は、まずは落書きを消すこと、続いて軽犯罪の取り締まり強化だったそうです。 効果に疑問の声もあったそうですが、街がきれいになり、軽犯罪が減少するに従って凶悪犯罪が減少する効果がでたそうです。http://homepage1.nifty.com/simplechic/human104.html)
 児童館・児童クラブにおいても徹底的な環境整備・子どもの遊び場環境作りに児童館職員が取り組めば子どもの暴力的な行為は減少する可能性がある。児童館・児童クラブ職員の仕事は子どもの遊び相手と考えられているが、それは間違いと私は思う。何よりも安心して子どもが遊べる環境作りにつとめるべきである。安心して遊べる環境が整うと子どもたちは遊び始める。この時、子ども同士の切磋琢磨が出てきて、子どもは成長していく。児童館・児童クラブの職員は子どもの遊びの見守りが大切な仕事となる。(実際には子どもを見守る過程が子どもから遊びを学ぶ過程となり、環境整備をする職員がたんなる子どもの遊び相手の職員よりも子どもの遊びに精通することになる。)
 環境整備の過程はたんに職員の仕事の過程ではなく、子どにとっても作業療法の過程となり、自尊心を培うことになる。また実際に役立つことをするわけだから、遊びの内容も豊富となるのである。例えば環境整備として草取りをする。その草を子どもたちと腐葉土にする。その腐葉土で野菜を植える。野菜の収穫祭を行う。といった一連のプログラムを児童館・児童クラブで実施すればこれは素晴らしい遊びプログラムになるであろう。児童館・児童クラブのガラス磨きをして、そのガラスをステンドグラス風に飾ればたんなるステンドグラス遊びよりも価値が出る。児童館・児童クラブの庭の草取りをして芝をはり、緑いっぱいの庭とし、そこでみんなでサッカーをしたらとても楽しいであろう。環境整備をしっかりやれば、子どもの情緒は安定し、子どもの遊びは豊かになり、ルールを守って遊ぶ子どもが増えると考えられる。またこうした遊び場環境作りには地域のボランティアや大人・保護者の力が必要となる。たんに読み聞かせボランティア・工作ボランティアという子どもの遊び相手ボランティアに比べ、遊び場環境作りボランティアは誰にでもできる。だからボランティアの数が増加する。それだけ子どもを見守る目が増える。安全・安心の体制ができる。ボランティアをすることでいろいろな子どもの現状を見ることができ、男の子のアグレッシブさや幼さも理解できるし、女の子の大人さもわかる。観念的な子ども論が少なくなり、現実問題として子どもの対処の仕方を多くの人たちが理解できることになる。また児童館・児童クラブが開かれたものとなり、密室状況での「体罰問題」は減少するであろう。
 子どもたちが安心して遊べる環境作りは地域の大人たちにも有意義なことである。児童館・児童クラブ職員は遊び場環境作りを第一義的に行うことが大切な時期に来ていると私は考えている。

   集団的いじめ・集団的暴行
 個々の子どもが良い子であっても集団となると悪いことをすることが多いものである。これは子どもに限らず大人も含めて人間の共通的なものかもしれない。大学生による集団暴行・中学生によるいじめなどにもその傾向がはっきりと出ている。また小学生においても「臭い」「汚い」などのいじめもあるし、遊びがこうじて一人いじめになっていることはよくあるものだ。集団的ないじめや集団的暴行が怖いのは「赤信号みんなで渡れば怖くない」の考え方と一緒で一人一人の罪の意識がとても薄く、反対にいじめや暴行にあう被害者の精神的・肉体的な被害が甚大なことだ。刑法206条の現場助勢の罪が軽すぎることも問題であるにしても、多数による弱いものいじめや弱いものへの暴行は十分に注意を要することである。集団いじめ集団暴行だけでなくて集団による授業妨害・クラス崩壊等への子どもたちの動きにも十分なる注意が必要であろう。もちろん教師が中心となって「お葬式ごっこ」をやったなどとのことは人権侵害も甚だしいことだ。
 人間は集団となると別のエネルギーを発揮しだす。集団的なエネルギーは安易で悪い行為等についてはすぐに発揮する傾向が強い。(良いことへ集団的なエネルギーを発揮するように持っていくのは大変なことが多い)だから集団がこそこそと何かを始めたら(このこそこそから始まることが多い)要注意であると思う。悪しきエネルギーが発揮され始めたならば、うまく集団をバラバラにするかその集団のエネルギーを別の方向に発揮させるようにすることが必要であろう。
 小学校4年生くらいの男の子どもたちがつるんで遊びの中で特定の子どもを排除したり、特定の女の子をいじめ始めたりした場合は集団の中心となる子どもをきちんとチェックし、個別援助を図ると共に野球・サッカーなどのルールある遊びで質の高い仲間作りを再編成しなおすことも必要であろう。音楽の先生などの特定の教師に対する嫌がらせなどでも個々の教員の努力だけでなくて、教師集団としての対応も必要であると思う。教員だけではなくて児童館・児童クラブにおいてもチームティーチングなどを活用して対応することも必要である。グループワークの手法を活用して集団が質の高い集団へと変容するように働きかけることも大切であろう。また集団での作業等を通して自分たちの遊び場環境を整えることも集団のエネルギーをよりよいものにしていく可能性を持っている。
 集団のいじめ・集団暴行等の行為について十分な注意が必要である。集団的ないじめ・集団暴行が公然化して怖いものなしになると学級崩壊・クラブ崩壊・学校崩壊などの事態に陥る可能性が高くなってくる。

 障害児の受け入れと多くの問題点
 従来、視覚障害児・聴覚障害児・肢体不自由児・知的障害児などの障害児の受け入れは軽度の場合に児童館・児童クラブ・普通学級などでも行われてきた。また盲学校・聾学校・養護学校等が充実し、障害児教育の充実が図られてきた。近年こうした障害児とはちょっと異なる発達障害といわれる自閉症・ADHD・LD・アスペルガー症候群・広汎性発達障害などの児童が顕著になってきた。私自身の経験からもADHDの子どもが複数で騒ぎ始めるとクラブの運営はとても大変である。ベテランの教員がノイローゼになったり、指導に悩んでノイローゼになることはとても理解ができる。
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自閉症(じへいしょう、Autism)は社会性や他者とのコミュニケーション能力の発達が遅滞する発達障害の一種である。高機能自閉症と低機能自閉症があり、ただ単に「自閉症」という場合は、後述する低機能自閉症の事のみをさす場合もある。現在では先天性の脳機能障害によるとされており、多くの遺伝的因子が関与すると考えられている。日本では1000人に1〜2人の割合で生じているが、どこまでを自閉症の範囲とするかによって発生率は大きく違う。また男性に多い。日本自閉症協会によると現在全国に推定36万人。知的障害言語障害を伴わない高機能自閉症(アスペルガー障害とも言う)など含めると120万人といわれている。「自閉症」の語感から、ひきこもりに至るような精神状態やうつ病のことを含んでいるように思われることもあるが、これは自閉症に対する誤った認識である。日本大学文理学部体育学科の教授である森昭雄2004年2005年前後にかけ、講演や自著の中で「テレビやテレビゲーム等が原因で後天的自閉症になる」と持論を展開していたように、近年でも大学教授でさえ誤った認識を持っていた例がある。研究初期は自閉症といえばほとんど言葉を話さないようなタイプをさしていたため、統合失調症の状態を表す「自閉」という用語を当てて「自閉症」と訳されていたが、徐々に自閉症の概念が拡大するにつれて、自閉症という訳語が不適切になってきたといわれる。特に高機能自閉症の場合は、一般的に恥ずかしいと思って秘密にするようなことでも正直に話してしまうなど、むしろイメージ的には自閉とは逆の「自開」であるという人もいる。

広汎性発達障害には下記のようなものが含まれる。なお、知的障害の無い、もしくは軽いものは高機能広汎性発達障害と呼ばれ、軽度発達障害に分類される。

 3歳以前に発症する発達異常・障害で、@相互的社会的関係の障害、Aコミュニケーション障害、B関心・活動のレパートリーの著しい制限・常同性、の3つを特徴とする。てんかんなどの脳波異常や脳室拡大が合併する事もある。難治性ではあるが進行性ではなく、一患者に於いては発達が見られる。約1000人に1人で男:女=4:1。人種による差はない。聴覚障害と鑑別しなければならない。聴覚障害や癲癇(てんかん)は脳波を取ることで客観的に検査できる。治療は、コミュニケーションを促す療育的対応を基本として、個別一過性の症状には対症的な薬物療法を行う。薬物療法は、自傷行為に対して向精神薬を用いる等する。予後は、社会の受け入れ態勢の整備と共に徐々に改善してきており、幼児期にIQが高かったり、意味を持つ言葉の発達が良好であったりその消失がなければ、予後は比較的良い。完治しないが悪化せず、年齢とともに症状は軽減する。
非定型自閉症  3歳以降に発症し、小児自閉症の3つの症状が揃わない、など定型的でない自閉症。
レット症候群  広汎性発達障害の最重症型。乳児期〜2歳頃から目的ある手の動作や会話をできなくなる。手を洗うような常同運動をつづけ、噛む運動もできなくなる。児童期には体幹失調・脊椎変形・舞踏病様運動・てんかん発作が現れ、進行性に運動機能が崩壊する。精神遅滞は重度。女児のみに発症。
アスペルガー症候群  広汎性発達障害では最も軽症の型。言語・認知的発達の遅滞はない点で、小児自閉症から区別される。
 ADHDは多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害の一つ
 DSM-IVによる正式名は注意欠陥・多動性障害(AD/HD: Attention Deficit / Hyperactivity Disorder) 。子供ではICD-10によるほとんど同様の症状を指す多動性障害(たどうせいしょうがい, Hyperkinetic Disorders F90)の診断名が使われることが多い。その症状により様々なタイプがあり、注意力を維持したり、様々な情報をまとめることを苦手とすることがほぼ全ての場合共通とする。DSM-IVでは症状に従いさらに以下の3種に下位分類がされる。マスコミ等一般のレベルでADHDと同様の文脈でつかわれていることもあるADDはそのうち多動性が顕著でない場合である不注意優勢型に相当する。
多動性・衝動性優勢型
混合型
不注意優勢型 (ADD)

アスペルガー症候群(あすぺるがーしょうこうぐん:AS)は発達障害の一種であり、一般的には「知的障害がない自閉症」とされている。精神医学において頻用されるアメリカ精神医学会の診断基準 (DSM-IV-TR) ではアスペルガー障害と呼ぶ。対人関係の障害や、他者の気持ちの推測力、すなわち心の理論の障害が特徴とされる。特定の分野への強いこだわりや、運動機能の軽度な障害も見られる。しかし、カナータイプ(低機能)自閉症に見られるような言語障害、知的障害は比較的少ない。1944年オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによって初めて報告されたが、第二次世界大戦のため、その論文は戦勝国側では注目されていなかった。1981年、イギリスの医師ローナ・ウィングがアスペルガーの発見を紹介することにより、1990年代になり世界中で徐々に知られるようになった。

 以下の出典はLD STATIONによる。
LDは、英語のLearning Disabilitiesの頭文字を取ったもので、日本では一般に学習障害と訳されています。日本語の障害という言葉のイメージが重すぎることもあり、「学習障害」よりは「LD」を使うことが多くなって来ています。

  文部省協力者会議・最終報告の定義 (1999/07) 

  学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、 読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著 しい困難を示す様々な状態を指すものである。
  学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的 な要因が直接の原因となるものではない。

 ADHD傾向の子どもは昔からいたであろう。しかし食生活の変化・自然環境の悪化・自己中心的な考え方のへの変容・少子時代における子どもの体験の少なさや甘やかしなどのいくつかの因子の変化の中で急激に発現してきたものだと私は思っている。ADHD等が親の躾に問題があるとうのことを言っているのではない。ADHD等が発達障害の一つであり、教育的配慮がもちろん必要である。教育的配慮の手法を考えなくてはいけない。ADHD傾向の子どもの中にはかっとなると自分を制御することができないで、他人に暴力を振るう傾向がある子どもが多い。こうした場合無理に学習をさせないという配慮が必要なこともある。その代わり暴力的な行為はさせないようにすることが大切と思う。他の事は普通にできても、数的概念の把握が困難な発達障害もある。他の子どもにこの子どもが「こんな計算もできないのかバカみたい」とからかわれて、暴力を振るうことになることも多い。私自身の経験からいうと言葉による暴力についてもっときちんと対処することが必要であると思われる。暴力的な行動も悪いことであるが、他人の名誉を毀損したり、侮辱する行為も刑法にふれる違法行為である。ジダンの頭突きのような場面で頭突きをしたものだけが責められていることも多いのである。暴力が振るわれる裏に言葉による暴力(侮辱)などがあることが多い。言葉による暴力を防ぐためにはごっこ遊びなどの表現遊びの中である程度の意地悪言葉遊びとか悪口遊びなども取り入れることが必要である。言葉による暴力性も人間は持っているのだから、言葉遊びの中で昇華していくことも大切なことである。
 発達障害児童の中でLDの子どもたちは知的な遅れで劣等感を持っていることが多い。遊び場環境作りの活動を通して、多少知的な遅れがあっても、きちんと作業ができれば評価をすることができる。頭だけよくても作業が嫌いな子どもよりも評価できる。みんなのために一生懸命作業をやることを評価すれば子どもの自尊心も高くなってくる。そして自信がついて頑張りが出てくる。遊び場環境作りは発達障害児童の指導も含めて大切である。
 発達障害児童に対して大人をマンツーマンに近い状態でつけて指導するのが良いとの考えもあるようだ。私自身はあまり賛成ではない。30人の子どもの中に2人の発達障害児童がいて、2人の職員の配当がされるのなら、2人の職員がチームティーチングで2人の発達障害児童を含めて30人の子どもをみたほうが良いと思う。発達障害児童も含めて子どもは基本的に子ども同士の切磋琢磨で成長する。子ども同士の関係性こそが子どもの成長の源泉であろう。
 小学生になってもほとんど言葉が出ないなどの軽度ではない自閉症の子どもであっても、他の子どもの関係性の中で成長していくことが多い。ちょうど、まだ言葉のしゃべれない乳児が他の幼児からもたくさんのことを学んでいることがあることと同様である。すべての人間の子どもは子ども同士の関係性の中で成長していくのだから、発達障害児童も含めてより良い仲間作りをしていくことが大切であると私は思う。
 今後児童クラブや学校のクラスなどでも発達障害児童の割合は多くなっていくであろう。その困難性を自覚しつつより良い手法を考えていくことが必要であると私は思う。

 子ども理解のための手法 understand・スモールステップ・ユニバーサルデザイン・ツーパワー・スリーパワー遊び・ロールプレー

 発達障害児童などの行動が障害によるものであるか、たんなるわがままによるものであるかを見極める必要性がある。たとえば多くの広汎性発達障害の児童は新しいことに取り組むことが苦手である。新しい折り紙などをやろうといってもなかなか仲間に入ってこない。またちょっとやってすぐにやめてしまう子どもも多い。こうした行動が障害によるものでまだその子どもにとっての準備性(レディネス)ができていないものであるのなら、無理をしてはいけないであろう。しかしながら充分にやれる状態にあるにも関わらずやらないのであれば、きちんとやるように指導することが必要である。これは折り紙などの工作だけではなくて、草取り・石拾いなどの作業においても同様である。子どもの発達段階を理解するにはもちろん子どもの発達心理学などの学習も必要である。同時に目の前の子どもをしっかりと理解することが大切である。ところで理解するとはどのようなことであろうか。人が人を理解することはとても難しいことだ。この点について英語は実に良い表現をしている。英語で理解する=understandである。underは下側であり、standは立つである。つまり理解するとは英語では下側に立つということなのだ。下側に立ってみて始めて事の理屈を解明できるのではなかろうか。私は文字通り子どもの下に立ってみることが発達障害児童の理解(もちろん健常児童にも必要である)に必要であると思う。具体的には子どもと話す時に膝を折って、子どもの目線より下側に立って話を聞いてやることである。子どもたちはunderstandして聞いてくれる人に一生懸命話をしに来てくれる。理解の基本がunderstandであることを肝に銘じることが大切であると思う。
 understandしていると発達障害児童の多くが遊びやゲームや工作や話などをまとめて理解できないことが分かってくる。そこでスモールステップの手法を使うことが必要である。折紙を折るときなどでもまず簡単な折紙を折り、それを組合わせてだんだんと複雑なものにしていく。奴さんユニット折紙くすだまユニット折紙などはとても有意義な折紙遊びである。折紙以外でも説明を小刻みにして実際にやってみる。また説明をする。やってみるというスモールステップにすれば発達障害児童も楽しく遊びの仲間に入れてあげることができる。
 スモールステップと共にユニバーサルデザインの考え方も大切である。ユニバーサルデザインは誰もが簡単に使ったり遊んだりできて、汎用性が高いものである。一つの遊び道具でいろいろな遊びをいろいろな人が(乳幼児から保育園・小学生・中高校生・大人・高齢者)一緒に遊べるようなものが良い。例えばカプラというフランスの積木はユニバーサルデザインの考えで作られていてとても良い遊びである。またツーパワースリーパワーの手法を使えば遊びながら遊びを伝えていくことができるので発達障害児童だけではなくて幼児なども遊びの仲間に入れることができる。トランプの七並べをするのに4人でやらない2人組み(ツーパワー)を4グループ作り、8人でやるというものである。2人の内の1人がカードを出す係・もう1人がカードを持っている係にすることで七並べを知らない子どもも遊びながら七並べのルールを理解できるようになっていく。この手法はぜひ児童館・児童クラブで使って欲しいやり方である。
 少子時代の中で自分のことを鏡にように見ることができないことが多い。昔ならわがままな子どもが駄々をこねて叱られる光景は日常茶飯事でその姿をみて自分をみる思いをしたものだ。少子時代では自己中心的になりすぎて周りも自分も見えなくなってきている。そこでロールプレーの手法を使うことは有効である。ロールプレーというと難しそうに聞こえるけれどごっこ遊びにおいていつも同じ人が同じ役目をするのではなくて、意図的に役割を交替するようにさせるとか、王様ジャンケン遊びなどで王様になって威張ってみたり、乞食になって放浪の旅をしたりすることでいろいろな役目を追体験することが有意義であると私は思う。
 少子時代は難しい時代である。いろいろな手法を試して子どもたちが健やかに育つようにみんなで情報交換が今後ともできていけたらと思う。

  権利と義務について
 ある児童館で弱いものを追いかけてドアを強く開け閉めしていたので、「危険だからやめなさい」と指導をしても指導に従わない。そこで「指導に従わないなら、危ないから児童館では遊ばすことができない」と言ったら「自分達は児童館で遊ぶ権利がある」と子どもたちが主張したという。こうした困った権利主張が最近増えている。一般的には基本的な義務を果たさなければ権利を主張できないと言われることが多い。そこで権利と義務の関係を考えてみたい。

けん‐り【権利】
[荀子勧学]権勢と利益。権能。〔法〕(right)
一定の利益を主張し、また、これを享受する手段として、法律が一定の者に賦与する力。「―を取得する」
ある事をする、またはしないことができる能力・自由。「他人を非難する―はない」
ぎ‐む【義務】
[論語雍也]自己の立場に応じてしなければならないこと、また、してはならないこと。「―を負う」「―を果す」
(duty) 道徳の基準を当為におくストア学派・キリスト教またはカントなどの倫理学において重んじられた概念で、人が自己の好悪にかかわりなくなすべきこと、またなすべからざること。この概念は、一方では道徳的強制を意味するとともに、他方では必ずしもそれに従わない傾向が人間にあることを含意している。
法律主体たる人に課せられる法的な拘束。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


 第三章 国民の権利及び義務(日本国憲法)

第十条【日本国民の要件】
 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条【基本的人権の享有と性質】
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条【法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界】
 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する。
第十五条【公務員の選定罷免権、公務員の性質、普通選挙と秘密投票の保障】
 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第十六条【請願権】
 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
第十七条【国及び公共団体の賠償責任】
 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第十八条【奴隷的拘束及び苦役からの自由】
 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第十九条【思想及び良心の自由】
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】
 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】
 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第二十二条【居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由】
 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
第二十三条【学問の自由】
 学問の自由は、これを保障する。
第二十四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。
第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】
 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第二十六条【教育を受ける権利、教育の義務、義務教育の無償】
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条【労働の権利・義務、労働条件の基準、児童酷使の禁止】
 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
 児童は、これを酷使してはならない。
第二十八条【労働者の団結権・団体交渉権その他団体行動権】
 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
第二十九条【財産権の保障】
 財産権は、これを侵してはならない。
 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律(民法第一編)でこれを定める。
 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
第三十条【納税の義務】
 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
第三十一条【法定手続の保障】
 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第三十二条【裁判を受ける権利】
 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第三十三条【逮捕に対する保障】
 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
第三十四条【抑留・拘禁に対する保障】
 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
第三十五条【住居侵入・捜索・押収に対する保障】
 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
第三十六条【拷問及び残虐な刑罰の禁止】
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する。
第三十七条【刑事被告人の諸権利】
 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
第三十八条【不利益な供述の強要禁止、自白の証拠能力】
 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
第三十九条【刑罰法規の不遡及、二重刑罰の禁止】
 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。
第四十条【刑事保障】
 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。
刑法(刑の種類)
第9条 死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする。

 権利とは一定の利益を主張しこれを享受することのできる力で、義務とは人が人としてなすべきこと、またはなすべからざることと考えることができるであろう。だから権利と義務との関係性は義務を果たさないから権利がないというような関係ではないと考えるべきであり、権利と義務は一体のものではないと私は思う。
 日本国民の三大義務は納税と勤労と保護する子女に教育を受けさせる義務である。仮に保護者が三大義務を果たしていないにしてもその子どもは児童館で遊ぶ権利はある。
 権利は他人の権利を侵害しない範囲で認められるものであり、例えば他人の生命を侵害しない範囲において自分の生命の権利も存在すると考えることができるであろう。殺人の罪を犯せば死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処するというのは他人の生命を侵害すれば生命及び自由の権利は制限されるのである。子どもたちが自由に遊ぶ権利は大切であるが、その権利は他人の遊ぶ権利を侵害するものであってはならないものである。また他人の遊ぶ権利を侵害するような遊びは保護するに値しない遊びであると考えるべきである。
 上記の児童館において他の子どもに危険の及ぶような遊びを注意され、なおかつその遊びをやめなさいとの指示に従わなければ、児童館から退去を命ぜられても当然であり、その時点で児童館で遊ぶ権利はなくなっていると考えるべきであろう。
 また以下の児童の権利条約も子どもも大人も基本的人権を有していて、それを保護されなければならないことと、身体的精神的に未熟である児童は特別の配慮が必要なことを明記したものである。当然のこととして他人の基本的人権を脅かすような権利は誰も有してはいない。逆に他人の基本的人権を守る義務を履行することが自分の基本的人権を守ることにつながることであると考えることが必要である。
 権利を英語で調べてみるとrightとtitleなどがある。基本的人権はrightであり、その語源は正しいということにある。これに対して土地などの占有権としての権利はtitleであり、語源は刻まれた銘である。rightである権利は互いに尊重しあって助け合って守り育てるものである。これに対してtitleは占有権であり、他人に侵害されないものとの考えがある。一般的に日本人が権利と言うときに「自分の物」との考えが強いために権利意識というと自己中心になってしまうことが多いように思う。他人の邪魔をしてまで自分に「遊ぶ権利」があるなどとの主張はその典型ではないだろうか。rightの権利は互いに尊重しあって始めて生じる権利であるとも考えることが大切であると思う。他人のright(=権利=正しい)を侵害するような権利はないと考えるべきではないか。
 また子どもたちの中には体育遊戯室などでボールのキックなどをしているのを制限すると「自由に遊びたい」と主張する子どもがいる。自由についても考える必要がある。体育遊戯室でサッカーとドッジボールと縄跳びと一輪車遊びを同時並行で一緒にやることは危険である。したがって時間的な制限を加えることでそれぞれの遊びを遊ぶことができるようになる。自由は英語でfreeとかliveralとなる。freeは思う自由で思うことは全くの自由である。しかしながら行動の自由はコントロールのよって広がるのである意味では統制が自由を拡大することになる。liveralには進歩的とか寛大な等の意味があり、みんなでルールを守ることによって行動の自由が拡大するとの意味があるようだ。行動の自由は統制によって拡大するとの概念も大切なことである。子どもたちが「自由にしたい」時の「自由」とはどんな自由なのかをはっきりとさせておくことが必要である。

   最後に ダメなものはダメ
 未使用の尿検査のコップでお茶を出したら間違いであろうし、非常識の人と思われるであろう。しかしこれは論理的であろうか。水分補給と衛生的との概念からいえばそれほど問題ではないであろう。未使用の尿検査コップでお茶を飲むというのは文化の問題で要するにダメなものはダメとのことの一つではないだろうか。人間は独りでは生きていけないから、様々な文化を築いてきた。文化であるから必ずしもすべて論理で説明できないこともたくさんあることを自覚すべきである。弱いものいじめや集団による暴行は論理の問題ではなくて要するにダメだからダメとしっかりと伝えることも必要である。
 子どもたち(大人も)の中には何でも論理でせめてくるものがいる。例えば「殺人」はいけない。では殺人を犯したものを死刑にすることはどうなのか。死刑を廃止すると殺人事件が増加する。抑止効果として必要である。「殺人」をさせないために死刑が存在する。これは論理矛盾となる。「人は殺してはいけない」との前提は論理ではなくて「ダメなものはダメ」と言い切ることが良いのではないかと思うのである。
 子どもたちの相手をしていると様々な局面に出会うことがある。一番大切な局面というのは論理では説明できなくて、自分自身の生きてきた存在をかけて「ダメなものはダメ」と言い切らなくてはならないこともある。大人は子どもに「ダメなことはダメ」と言えるように大人自身も研鑽する必要がある。環境整備はその意味で自己修行の一つでもあるのではないかと私は感じている。子どもはいつも大人をしっかりとunderstandしているものだから。


  参考資料  児童の権利に関する条約
                    1989年11月20日 国連採決
                    1994年 5月22日 発効
前文

 この条約の締約国は、国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎を成すものであることを考慮し、国際連合加盟国の国民が、国際連合憲章において、 基本的人権並びに人間の尊厳及び価値に関する信念を改めて確認し、かつ、一層大きな自由の中で社会的進歩及び生活水準の向上を促進することを決意したことに留意し、国際連合が、世界人権宣言及び人権に関する国際規約において、すべての人は人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしに同宣言及び同規約に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明し及び合意したことを認め、国際連合が、世界人権宣言において、児童は特別な保護及び援助についての権利を享有することができることを宣明したことを想起し、家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員特に児童の成長及び福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けること児童が、その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため、家庭環境の下で幸福、愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきであることを認め、児童が、社会において個人として生活するため十分な準備が整えられるべきであり、かつ、国際連合憲章において宣明された理想の精神並びに特に平和、尊厳、寛容、自由、平等及び連帯の精神に従って育てられるべきであることを考慮し、児童に対して特別な保護を与えることの必要性が、1924年の児童の権利に関するジュネーヴ宣言及び1959年11月20日に国際連合総会で採択された児童の権利に関する宣言において述べられており、また、世界人権宣言、市民的及び政治的権利に関する国際規約(特に第23条及び第24条)、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(特に第10条)並びに児童の福祉に関係する専門機関及び国際機関の規程及び関係文書において認められていることに留意し、児童の権利に関する宣言において示されているとおり「児童は、身体的及び精神的に未熟であるため、その出生の前後において、適当な法的保護を含む特別な保護及び世話を必要とする。」ことに留意し、国内の又は国際的な里親委託及び養子縁組を特に考慮した児童の保護及び福祉についての社会的及び法的な原則に関する宣言、少年司法の運用のための国際連合最低基準規則(北京規則)及び緊急事態及び武力紛争における女子及び児童の保護に関する宣言の規定を想起し、極めて困難な条件の下で生活している児童が世界のすべての国に存在すること、また、このような児童が特別の配慮を必要としていることを認め、児童の保護及び調和のとれた発達のために各人民の伝統及び文化的価値が有する重要性を十分に考慮し、あらゆる国特に開発途上国における児童の生活条件を改善するために国際協力が重要であることを認めて、次のとおり協定した。

1部

 

1条(児童の定義)

 この条約の適用上、児童とは、18歳未満のすべての者をいう。ただし、当該児童で、その者に適用される法律によりより早く成年に達したものを除く。

2条(差別の禁止)

1.締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。

2.締約国は、児童がその父母、法定保護者又は家族の構成員の地位、活動、表明した意見又は信念によるあらゆる形態の差別又は処罰から保護されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。

 3条(児童の最善の利益の考慮)

1.児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。

2.締約国は、児童の父母、法定保護者又は児童について法的に責任を有する他の者の権利及び義務を考慮に入れて、児童の福祉に必要な保護及び養護を確保することを約束し、このため、すべての適当な立法上及び行政上の措置をとる。

3.締約国は、児童の養護又は保護のための施設、役務の提供及び設備が、特に安全及び健康の分野に関し並びにこれらの職員の数及び適格性並びに適正な監督に関し権限のある当局の設定した基準に適合することを確保する。

 4条(立法・行政その他の措置)

 締約国は、この条約において認められる権利の実現のため、すべての適当な立法措置、行政措置その他の措置を講ずる。締約国は、経済的、社会的及び文化的権利に関しては、自国における利用可能な手段の最大限の範囲内で、また、必要な場合には国際協力の枠内で、これらの措置を講ずる。

 5条(親その他の者の指導の尊重)

 締約国は、児童がこの条約において認められる権利を行使するに当たり、父母若しくは場合により地方の慣習により定められている大家族若しくは共同体の構成員、法定保護者又は児童について法的に責任を有する他の者がその児童の発達しつつある能力に適合する方法で適当な指示及び指導を与える責任、権利及び義務を尊重する。

 6条(生命への権利、生存・発達の確保)

1.締約国は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。

 2.締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する。

 7条(名前・国籍をもつ権利)

1.児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。

2.締約国は、特に児童が無国籍となる場合を含めて、国内法及びこの分野における関連する国際文書に基づく自国の義務に従い、1の権利の実現を確保する。

 8条(身元の保全)

1.締約国は、児童が法律によって認められた国籍、氏名及籍、氏名及び家族関係を含むその身元関係事項について不法に干渉されることなく保持する権利を尊重することを約束する。

2.締約国は、児童がその身元関係事項の一部又は全部を不法に奪われた場合には、その身元関係事項を速やかに回復するため、適当な援助及び保護を与える。

9条(親からの分離の禁止及びその例外)

1.締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りでない。このような決定は、父母が児童を虐待し若しくは放置する場合又は父母が別居しており児童の居住地を決定しなければならない場合のような特定の場合において必要となることがある。

 2.すべての関係当事者は、1の規定に基づくいかなる手続においても、その手続に参加しかつ自己の意見を述べる機会を有する。

 3.締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する。

4.3の分離が、締約国がとった父母の一方若しくは双方又は児童の抑留、拘禁、追放、退去強制、死亡(その者が当該締約国により身体を拘束されている間に何らかの理由により生じた死亡を含む。)等のいずれかの措置に基づく場合には、当該締約国は、要請に応じ、父母、児童又は適当な場合には家族の他の構成員に対し、家族のうち不在となっている者の所在に関する重要な情報を提供する。ただし、その情報の提供が児童の福祉を害する場合は、この限りでない。

 締約国は、更に、その要請の提出自体が関係者に悪影響を及ぼさないことを確保する。

 10条(家族の再会)

1.前条1の規定に基づく締約国の義務に従い、家族の再統合を目的とする児童又はその父母による締約国への入国又は締約国からの出国の申請については、締約国が積極的、人道的かつ迅速な方法で取り扱う。締約国は、更に、その申請の提出が申請者及びその家族の構成員に悪影響を及ぼさないことを確保する。

 2.父母と異なる国に居住する児童は、例外的な事情がある場合を除くほか定期的に父母との人的な関係及び直接の接触を維持する権利を有する。このため、前条1の規定に基づく締約国の義務に従い、締約国は、児童及びその父母がいずれの国(自国を含む。)からも出国し、かつ、自国に入国する権利を尊重する。出国する権利は、法律で定められ、国の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要であり、
かつ、この条約において認められる他の権利と両立する制限にのみ従う。

11条(国外不法移送・不返還の禁止)

1.締約国は、児童が不法に国外へ移送されることを防止し及び国外から帰還することができない事態を除去するための措置を講ずる。

 2.このため、締約国は、2国間若しくは多数国間の協定の締結又は現行の協定への加入を促進する。

 

12条(意見表明権)

1.締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。

 2.このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。
13条(表現・情報の自由)

1.児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。    

2.1の権利の行使については、一定の制限を課することができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。

 (a) 他の者の権利又は信用の尊重

 (b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護

 14条(思想・良心・宗教の自由)

1.締約国は、思想、良心及び宗教の自由についての児童の権利を尊重する。

2.締約国は、児童が1の権利を行使するに当たり、父母及び場合により法定保護者が児童に対しその発達しつつある能力に適合する方法で指示を与える権利及び義務 を尊重する。

3.宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。

15条(結社・集会の自由)

1.締約国は、結社の自由及び平和的な集会の自由についての児童の権利を認める。

2.1の権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない。

16条(プライバシー・通信・名誉の保護)

1.いかなる児童も、その私生活、家族、住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され又は名誉及び信用を不法に攻撃されない。

2.児童は、1の干渉又は攻撃に対する法律の保護を受ける権利を有する。

17条(マスメディアへのアクセス)

 締約国は、大衆媒体(マス・メディア)の果たす重要な機能を認め、児童が国の内外の多様な情報源からの情報及び資料、特に児童の社会面、精神面及び道徳面の福祉並びに心身の健康の促進を目的とした情報及び資料を利用することができることを確保する。このため、締約国は、

 (a) 児童にとって社会面及び文化面において有益であり、かつ、第29条の精神に沿う情報及び資料を大衆媒体(マス・メディア)が普及させるよう奨励する。

 (b) 国の内外の多様な情報源(文化的にも多様な情報源を含む。)からの情報及び資料の作成、交換及び普及における国際協力を奨励する。

 (c) 児童用書籍の作成及び普及を奨励する。

 (d) 少数集団に属し又は原住民である児童の言語上の必要性について大衆媒体(マス・メディア)が特に考慮するよう奨励する。

 (e) 第13条及び次条の規定に留意して、児童の福祉に有害な情報及び資料から児童を保護するための適当な指針を発展させることを奨励する。

18条(親の第一次的養育責任に対する援助)

1.締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を
有する。児童の最善の利益は、これらの者の基本的な関心事項となるものとする。

2.締約国は、この条約に定める権利を保障し及び促進するため、父母及び法定保護者が児童の養育についての責任を遂行するに当たりこれらの者に対して適当な援助 を与えるものとし、また、児童の養護のための施設、設備及び役務の提供の発展を確保する。

3.締約国は、父母が働いている児童が利用する資格を有する児童の養護のための役務の提供及び設備からその児童が便益を受ける権利を有することを確保するためのすべての適当な措置をとる。

19条(親などによる虐待・放任・搾取からの保護)

1.締約国は、児童が父母、法定保護者又は児童を監護する他の者による監護を受けている間において、あらゆる形態の身体的若しくは精神的な暴力、傷害若しくは虐 待、放置若しくは怠慢な取扱い又は搾取(性的虐待を含む。)からその児童を保護するためすべての適当な立法上、行政上、社会上及び教育上の措置をとる。

 2.1の保護措置には、適当な場合には、児童及び児童を監護する者のために必要な援助を与える社会的計画の作成その他の形態による防止のための効果的な手続並び に1に定める児童の不当な取扱いの事件の発見、報告、付託、調査、処置及び事後措置並びに適当な場合には司法の関与に関する効果的な手続を含むものとする。

20条(家庭環境を奪われた児童の養育)

1.一時的若しくは恒久的にその家庭環境を奪われた児童又は児童自身の最善の利益にかんがみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する。

2.締約国は、自国の国内法に従い、1の児童のための代替的な監護を確保する。

3.2の監護には、特に、里親委託、イスラム法の力ファーラ、養子縁組又は必要な場合には児童の監護のための適当な施設への収容を含むことができる。解決策の検 討に当たっては、児童の養育において継続性が望ましいこと並びに児童の種族的、宗教的、文化的及び言語的な背景について、十分な考慮を払うものとする。

21条(養子縁組)

 養子縁組の制度を認め又は許容している締約国は、児童の最善の利益について最大の考慮が払われていることを確保するものとし、また、

 (a) 児童の養子縁組が権限のある当局によってのみ認められることを確保する。この場合において、当該権限のある当局は、適用のある法律及び手続に従い、かつ、信頼し得るすべての関連情報に基づき、養子縁組が父母、親族及び法定保護者に関する児童の状況にかんがみ許容されること並びに必要な場合には、関係者が所要のカウンセリングに基づき養子縁組について事情を知らされた上での同意を与えていることを認定する。

 (b) 児童がその出身国内において里親若しくは養家に託され又は適切な方法で監護を受けることができない場合には、これに代わる児童の監護の手段として国際的な養子縁組を考慮することができることを認める。

 (c) 国際的な養子縁組が行われる児童が国内における養子縁組の場合における保護及び基準と同等のものを享受することを確保する。

 (d) 国際的な養子縁組において当該養子縁組が関係者に不当な金銭上の利得をもたらすことがないことを確保するためのすべての適当な措置をとる。

 (e) 適当な場合には、2国間又は多数国間の取極又は協定を締結することによりこの条の目的を促進し、及びこの枠組みの範囲内で他国における児童の養子縁組が権限のある当局又は機関によって行われることを確保するよう努める。

22条(難民の児童の保護・援助)

1.締約国は、難民の地位を求めている児童又は適用のある国際法及び国際的な手続若しくは国内法及び国内的な手続に基づき難民と認められている児童が、父母又は他の者に付き添われているかいないかを間わず、この条約及び自国が締約国となっている人権又は人道に関する他の国際文書に定める権利であって適用のあるものの享受に当たり、適当な保護及び人道的援助を受けることを確保するための適当な措置をとる。

2.このため、締約国は、適当と認める場合には、1の児童を保護し及び援助するため、並びに難民の児童の家族との再統合に必要な情報を得ることを目的としてその難民の児童の父母又は家族の他の構成員を捜すため、国際連合及びこれと協力する他の権限のある政府間機関又は関係非政府機関による努力に協力する。その難民の児童は、父母又は家族の他の構成員が発見されない場合には、何らかの理由により恒久的又は一時的にその家庭環境を奪われた他の児童と同様にこの条約に定める保護が与えられる。

23条(障害児の権利)
1.締約国は、精神的又は身体的な障害を有する児童が、その尊厳を確保し、自立を促進し及び社会への積極的な参加を容易にする条件の下で十分かつ相応な生活を享受すべきであることを認める。

2.締約国は、障害を有する児童が特別の養護についての権利を有することを認めるものとし、利用可能な手段の下で、申込みに応じた、かつ、当該児童の状況及び父母又は当該児童を養護している他の者の事情に適した援助を、これを受ける資格を有する児童及びこのような児童の養護について責任を有する者に与えることを奨励し、かつ、確保する。

 3.障害を有する児童の特別な必要を認めて、2の規定に従って与えられる援助は、父母又は当該児童を養護している他の者の資力を考慮して可能な限り無償で与えられるものとし、かつ、障害を有する児童が可能な限り社会への統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む。)を達成することに資する方法で当該児童が教育、訓練、保健サービス、リハビリテーション・サービス、雇用のための準備及びレクリエーションの機会を実質的に利用し及び享受することができるように行われるものとする。

 4.締約国は、国際協力の精神により、予防的な保健並びに障害を有する児童の医学的、心理学的及び機能的治療の分野における適当な情報の交換(リハビリテーション、教育及び職業サービスの方法に関する情報の普及及び利用を含む。)であってこれらの分野における自国の能力及び技術を向上させ並びに自国の経験を広げることができるようにすることを目的とするものを促進する。これに関しては、特に、開発途上国の必要を考慮する。

24条(健康医療への権利)

1.締約国は、到達可能な最高水準の健康を享受すること並びに病気の治療及び健康の回復のための便宜を与えられることについての児童の権利を認める。締約国は、いかなる児童もこのような保健サービスを利用する権利が奪われないことを確保するために努力する。

2.締約国は、1の権利の完全な実現を追求するものとし、特に、次のことのための適当な措置をとる。

 (a) 幼児及び児童の死亡率を低下させること。

 (b) 基礎的な保健の発展に重点を置いて必要な医療及び保健をすべての児童に提供することを確保すること。
 (c) 環境汚染の危険を考慮に入れて、基礎的な保健の枠組みの範囲内で行われることを含めて、特に容易に利用可能な技術の適用により並びに十分に栄養のある食物及び清潔な飲料水の供給を通じて、保病及び栄養不良と戦うこと。

 (d) 母親のための産前産後の適当な保健を確保すること。

 (e) 社会のすべての構成員特に父母及び児童が、児童の健康及び栄養、母乳による育児の利点、衛生(環境衛生を含む。)並びに事故の防止についての基礎的な知識に関して、情報を提供され、教育を受ける機会を有し及びその知識の使用について支援されることを確保すること。

 (f) 予防的な保健、父母のための指導並びに家族計画に関する教育及びサービスを発展させること。

 3.締約国は、児童の健康を害するような伝統的な慣行を廃止するため、効果的かつ適当なすべての措置をとる。

 4.締約国は、この条において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、国際協力を促進し及び奨励することを約束する。これに関しては、特に、開発途上国の必要を考慮する。

25条(措置された児童の定期的審査)

 締約国は、児童の身体又は精神の養護、保護又は治療を目的として権限のある当局によって収容された児童に対する処遇及びその収容に関連する他のすべての状況に関する定期的な審査が行われることについての児童の権利を認める。

26条(社会保障への権利)

1.締約国は、すべての児童が社会保険その他の社会保障からの給付を受ける権利を認めるものとし、自国の国内法に従い、この権利の完全な実現を達成するための必要な措置をとる。

2.1の給付は、適当な場合には、児童及びその扶養について責任を有する者の資力及び事情並びに児童によって又は児童に代わって行われる給付の申請に関する他のすべての事項を考慮して、与えられるものとする。

27条(生活水準への権利)

1.締約国は、児童の身体的、精神的、道徳的及び社会的な発達のための相当な生活水準についてのすべての児童の権利を認める。

2.父母又は児童について責任を有する他の者は、自己の能力及び資力の範囲内で、児童の発達に必要な生活条件を確保することについての第一義的な責任を有する。

3.締約国は、国内事情に従い、かつ、その能力の範囲内で、1の権利の実現のため、父母及び児童について責任を有する他の者を援助するための適当な措置をとるものとし、また、必要な場合には、特に栄養、衣類及び住居に関して、物的援助及び支援計画を提供する。

4.締約国は、父母又は児童について金銭上の責任を有する他の者から、児童の扶養料を自国内で及び外国から、回収することを確保するためのすべての適当な措置をとる。特に、児童について金銭上の責任を有する者が児童と異なる国に居住している場合には、締約国は、国際協定への加入又は国際協定の締結及び他の適当な取決めの作成を促進する。

28条(教育への権利)

1.締約国は、教育についての児童の権利を認めるものとし、この権利を漸進的にかつ機会の平等を基礎として達成するため、特に、

 (a) 初等教育を義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとする。

 (b) 種々の形態の中等教育(一般教育及び職業教育を含む。)の発展を奨励し、すべての児童に対し、これらの中等教育が利用可能であり、かつ、これらを利用する機会が与えられるものとし、例えば、無償教育の導入、必要な場合における財政的援助の提供のような適当な措置をとる。

 (c) すべての適当な方法により、能力に応じ、すべての者に対して高等教育を利用する機会が与えられるものとする。

 (d) すべての児童に対し、教育及び職業に関する情報及び指導が利用可能であり、かつ、これらを利用する機会が与えられるものとする。

 (e) 定期的な登校及び中途退学率の減少を奨励するための措置をとる。

2.締約国は、学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。

3.締約国は、特に全世界における無知及び非識字の廃絶に寄与し並びに科学上及び技術上の知識並びに最新の教育方法の利用を容易にするため、教育に関する事項についての国際協力を促進し、及び奨励する。これに関して
は、特に、開発途上国の必要を考慮する。

 29条(教育の目的)

1.締約国は、児童の教育が次のことを指向すべきことに同意する。

 (a) 児童の人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。

 (b) 人権及び基本的自由並びに国際連合憲章にうたう原則の尊重を育成すること。

 (c) 児童の父母、児童の文化的同一性、言語及び価値観、児童の居住国及び出身国の国民的価値観並びに自己の文明と異なる文明に対する尊重を育成すること。

 (d) すべての人民の間の、種族的、国民的及び宗教的集団の間の並びに原住民である者の理解、平和、寛容、両性の平等及び友好の精神に従い、自由な社会における責任ある生活のために児童に準備させること。

 (e) 自然環境の尊重を育成すること。

2.この条又は前条のいかなる規定も、個人及び団体が教育機関を設置し及び管理する自由を妨げるものと解してはならない。ただし、常に1に定める原則が遵守されること及び当該教育機関において行われる教育が国によって定められる最低限度の基準に適合することを条件とする。

30条(少数・先住民の児童の権利)

 種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、当該少数民族に属し又は原住民である児童は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。

31条(休息・余暇・遊び・文化的・芸術的生活への参加)

1.締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。

 2.締約国は、児童が文化的及び芸術的な生活に十分に参加する権利を尊重しかつ促進するものとし、文化的及び芸術的な活動並びにレクリエーション及び余暇の活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する。

32条(経済的搾取・有害労働からの保護)

1.締約国は、児童が経済的な搾取から保護され及び危険となり若しくは児童の教育の妨げとなり又は児童の健康若しくは身体的、精神的、道徳的若しくは社会的な発達に有害となるおそれのある労働への従事から保護される権利を認める。

2.締約国は、この条の規定の実施を確保するための立法上、行政上、社会上及び教育上の措置をとる。このため、締約国は、他の国際文書の関連規定を考慮して、特に、

 (a) 雇用が認められるための1又は2以上の最低年齢を定める。

 (b) 労働時間及び労働条件についての適当な規則を定める。

 (c) この条の規定の効果的な実施を確保するための適当な罰則その他の制裁を定める。

 33条(麻薬・向精神薬からの保護)

 締約国は、関連する国際条約に定義された麻薬及び向精神薬の不正な使用から児童を保護し並びにこれらの物質の不正な生産及び取引における児童の使用を防止するための立法上、行政上、社会上及び教育上の措置を含むすべての適当な措置をとる。

34条(性的搾取からの保護)

 締約国は、あらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から児童を保護することを約束する。このため、締約国は、特に、次のことを防止するためのすべての適当な国内、2国間及び多数国間の措置をとる。

 (a) 不法な性的な行為を行うことを児童に対して勧誘し又は強制すること。

 (b) 売春又は他の不法な性的な業務において児童を搾取的に使用すること。

 (c) わいせつな演技及び物において児童を搾取的に使用すること。

35条(誘拐・売買・取引の防止)

 締約国は、あらゆる目的のための又はあらゆる形態の児童の誘拐、売買又は取引を防止するためのすべての適当な国内、2国間及び多数国間の措置をとる。

36条(他のあらゆる形態の搾取からの保護)

 締約国は、いずれかの面において児童の福祉を害する他のすべての形態の搾取から児童を保護する。

37条(自由を奪われた児童の適正な取り扱い)

 締約国は、次のことを確保する。

 (a) いかなる児童も、拷問又は他の残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けないこと。死刑又は釈放の可能性がない終身刑は、18歳未満の者が行った犯罪について科さないこと。

 (b) いかなる児童も、不法に又は恣意的にその自由を奪われないこと。児童の逮捕、抑留又は拘禁は、法律に従って行うものとし、最後の解決手段として最も短い適当な期間のみ用いること。

 (c) 自由を奪われたすべての児童は、人道的に、人間の固有の尊厳を尊重して、かつ、その年齢の者の必要を考慮した方法で取り扱われること。特に、自由を奪われたすべての児童は、成人とは分離されないことがその最善の利益であると認められない限り成人とは分離されるものとし、例外的な事情がある場合を除くほか、通信び訪問を通じてその家族との接触を維持する権利を有すること。

 (d) 自由を奪われたすべての児童は、弁護人その他適当な援助を行う者と速やかに接触する権利を有し、裁判所その他の権限のある、独立の、かつ、公平な当局においてその自由の剥奪の合法性を争い並びにこれについての決定を速やかに受ける権利を有すること。
 38条(武力紛争における児童の保護)

1.締約国は、武力紛争において自国に適用される国際人道法の規定で児童に関係を有するものを尊重し及びこれらの規定の尊重を確保することを約束する。

2.締約国は、15歳未満の者が敵対行為に直接参加しないことを確保するためのすべての実行可能な措置をとる。

3.締約国は、15歳未満の者を自国の軍隊に採用することを差し控えるものとし、また、15歳以上18歳未満の者の中から採用するに当たっては、最年長者を優先させるよう努める。

4.締約国は、武力紛争において文民を保護するための国際人道法に基づく自国の義務に従い、武力紛争の影響を受ける児童の保護及び養護を確保するためのすべての実行可能な措置をとる。

39条(犠牲になった児童の心身の回復と社会復帰)

 締約国は、あらゆる形態の放置、搾取若しくは虐待、拷間若しくは他のあらゆる形態の残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰又は武力紛争による被害者である児童の身体的及び心理的な回復及び社会復帰を促進するためのすべての適当な措置をとる。このような回復及び復帰は、児童の健康、自尊心及び尊厳を育成する環境において行われる。

40条(少年司法)

1.締約国は、刑法を犯したと申し立てられ、訴追され又は認定されたすべての児童が尊厳及び価値についての当該児童の意識を促進させるような方法であって、当該児童が他の者の人権及び基本的自由を尊重することを強化し、かつ、当該児童の年 齢を考慮し、更に、当該児童が社会に復帰し及び社会において建設的な役割を担うことがなるべく促進されることを配慮した方法により取り扱われる権利を認める。

2.このため、締約国は、国際文書の関連する規定を考慮して、特に次のことを確保する。

 (a) いかなる児童も、実行の時に国内法又は国際法により禁じられていなかった作為又は不作為を理由として刑法を犯したと申し立てられ、訴追され又は認定されないこと。

 (b) 刑法を犯したと申し立てられ又は訴追されたすべての児童は、少なくとも次の保障を受けること。

  (T) 法律に基づいて有罪とされるまでは無罪と推定されること。

  (U) 速やかにかつ直接に、また、適当な場合には当該児童の父母又は法定保護者を通じてその罪を告げられること並びに防御の準備及び申立てにおいて弁護人その他適当な援助を行う者を持つこと。

  (V) 事案が権限のある、独立の、かつ、公平な当局又は司法機関により法律に基づく公正な審理において、弁護人その他適当な援助を行う者の立会い及び、特に当該児童の年齢又は境遇を考慮して児童の最善の利益にならないと認められる場合を除くほか、当該児童の父母又は法定保護者の立会いの下に遅滞なく決定されること。

  (W) 供述又は有罪の自白を強要されないこと。不利な証人を尋間し又はこれに対し尋問させること並びに対等の条件で自己のための証人の出席及びこれに対する尋問を求めること。

  (X) 刑法を犯したと認められた場合には、その認定及びその結果科せられた措置について、法律に基づき、上級の、権限のある、独立の、かつ、公平な当局又は司法機関によって再審理されること。

  (Y) 使用される言語を理解すること又は話すことができない場合には、無料で通訳の援助を受けること。

  (Z) 手続のすべての段階において当該児童の私生活が十分に尊重されること。

3.締約国は、刑法を犯したと申し立てられ、訴追され又は認定された児童に特別に適用される法律及び手続の制定並びに当局及び施設の設置を促進するよう努めるものとし、特に、次のことを行う。

 (a) その年齢未満の児童は刑法を犯す能力を有しないと推定される最低年齢を設定すること。

 (b) 適当なかつ望ましい場合には、人権及び法的保護が十分に尊重されていることを条件として、司法上の手続に訴えることなく当該児童を取り扱う措置をとること。

 4.児童がその福祉に適合し、かつ、その事情及び犯罪の双方に応じた方法で取り扱われることを確保するため、保護、指導及び監督命令、力ウンセリング、保護観察、里親委託、教育及び職業訓練計画、施設における養護に代わる他の措置等の種々の処置が利用し得るものとする。

 41条(既存の権利の確保)

 この条約のいかなる規定も、次のものに含まれる規定であって児童の権利の実現に一層貢献するものに影響を及ぼすものではない。

 (a) 締約国の法律

 (b) 締約国について効力を有する国際法

2

 42条(条約広報義務)

 締約国は、適当かつ積極的な方法でこの条約の原則及び規定を成人及び児童のいずれにも広く知らせることを約束する。

 43条(児童の権利に関する委員会)

1.この条約において負う義務の履行の達成に関する締約国による進捗の状況を審査するため、児童の権利に関する委員会(以下「委員会」という。)を設置する。委員会は、この部に定める任務を行う。

 2.委員会は、徳望が高く、かつ、この条約が対象とする分野において能力を認められた10人の専門家で構成する。委員会の委員は、締約国の国民の中から締約国により選出されるものとし、個人の資格で職務を遂行する。その選出に当たっては、衡平な地理的配分及び主要な法体系を考慮に入れる。

3.委員会の委員は、締約国により指名された者の名簿の中から秘密投票により選出される。各締約国は、自国民の中から1人を指名することができる。

4.委員会の委員の最初の選挙は、この条約の効力発生の日の後6箇月以内に行うものとし、その後の選挙は、2年ごとに行う。国際連合事務総長は、委員会の委員の選挙の日の遅くとも4箇月前までに、締約国に対し、自国が指名する者の氏名を2箇月以内に提出するよう書簡で要請する。その後、同事務総長は、指名された者のアルファべット順による名簿(これらの者を指名した締約国名を表示した名簿とする。)を作成し、この条約の締約国に送付する。

5.委員会の委員の選挙は、国際連合事務総長により国際連合本部に招集される締約国の会合において行う。これらの会合は、締約国の3分の2をもって定足数とする。

 これらの会合においては、出席しかつ投票する締約国の代表によって投じられた票の最多数で、かつ、過半数の票を得た者をもって委員会に選出された委員とする。

6.委員会の委員は、4年の任期で選出される。委員は、再指名された場合には、再選される資格を有する。最初の選挙において選出された委員のうち5人の委員の任期は、2年で終了するものとし、これらの5人の委員は、最初の選挙の後直ちに、最初の選挙が行われた締約国の会合の議長によりくじ引で選ばれる。

7.委員会の委員が死亡し、辞任し又は他の理由のため委員会の職務を遂行することができなくなったことを宣言した場合には、当該委員を指名した締約国は、委員会の承認を条件として自国民の中から残余の期間職務を遂行する他の専門家を任命する。

8.委員会は、手続規則を定める。

 9.委員会は、役員を2年の任期で選出する。

 10.委員会の会合は、原則として、国際連合本部又は委員会が決定する他の適当な場所において開催する。委員会は、原則として毎年1回会合する。委員会の会合の期間は、国際連合総会の承認を条件としてこの条約の締約国の会合において決定し、必要な場合には、再検討する。

11.国際連合事務総長は、委員会がこの条約に定める任務を効果的に遂行するために必要な職員及び便益を提供する。

12.この条約に基づいて設置する委員会の委員は、国際連合総会が決定する条件に従い、同総会の承認を得て、国際連合の財源から報酬を受ける。

44条(締約国の報告義務)

1.締約国は、(a)当該締約国についてこの条約が効力を生ずる時から2年以内に、(b)その後は5年ごとに、この条約において認められる権利の実現のためにとった措置及びこれらの権利の享受についてもたらされた進歩に関する報告を国際連合事務総長を通じて委員会に提出することを約束する。

2.この条の規定により行われる報告には、この条約に基づく義務の履行の程度に影響を及ぼす要因及び障害が存在する場合には、これらの要因及び障害を記載する。当該報告には、また、委員会が当該国における条約の実施について包括的に理解するために十分な情報を含める。

3.委員会に対して包括的な最初の報告を提出した締約国は、1(b)の規定に従って提出するその後の報告においては、既に提供した基本的な情報を繰り返す必要はない。

4.委員会は、この条約の実施に関連する追加の情報を締約国に要請することができる。

5.委員会は、その活動に関する報告を経済社会理事会を通じて2年ごとに国際連合総会に提出する。

6.締約国は、1の報告を自国において公衆が広く利用できるようにする。

45条(国際協力のための委員会の機能)

 この条約の効果的な実施を促進し及びこの条約が対象とする分野における国際協力を奨励するため、

 (a) 専門機関及び国際連合児童基金その他の国際連合の機関は、その任務の範囲内にある事項に関するこの条約の規定の実施についての検討に際し、代表を出す権利を有する。

 委員会は、適当と認める場合には、専門機関及び国際連合児童基金その他の権限のある機関に対し、これらの機関の任務の範囲内にある事項に関するこの条約の実施について専門家の助言を提供するよう要請することが
できる。

 委員会は、専門機関及び国際連合児童基金その他の国際連合の機関に対し、これらの機関の任務の範囲内にある事項に関するこの条約の実施について報告を提出するよう要請することができる。

 (b) 委員会は、適当と認める場合には、技術的な助言若しくは援助の要請を含んでおり又はこれらの必要性を記載している締約国からのすべての報告を、これらの要請又は必要性の記載に関する委員会の見解及び提案がある場合は当該見解及び提案とともに、専門機関及び国際連合児童基金その他の権限のある機関に送付する。

 (c) 委員会は、国際連合総会に対し、国際連合事務総長が委員会のために児童の権利に関連する特定の事項に関する研究を行うよう同事務総長に要請することを勧告することができる。

 (d) 委員会は、前条及びこの条の規定により得た情報に基づく提案及び一般的な性格を有する勧告を行うことができる。これらの提案及び一般的な性格を有する勧告は、関係締約国に送付し、締約国から意見がある場合にはその意見とともに国際連合総会に報告する。

 3部

46条(署名)

 この条約は、すべての国による署名のために開放しておく。

47条(批准)

 この条約は、批准されなければならない。批准書は、国際連合事務総長に寄託する。

48条(加入)

 この条約は、すべての国による加入のために開放しておく。加入書は、国際連合事務総長に寄託する。

 49条(効力発生)

1.この条約は、20番目の批准書又は加入書が国際連合事務総長に寄託された日の後30日目の日に効力を生ずる。

2.この条約は、20番目の批准書又は加入書が寄託された後に批准し又は加入する国については、その批准書又は加入書が寄託された日の後30日目に効力を生ずる。

50条(改正)

1.いずれの締約国も、改正を提案し及び改正案を国際連合事務総長に提出することができる。同事務総長は、直ちに、締約国に対し、その改正案を送付するものとし、締約国による改正案の審議及び投票のための締約国の会議の開催についての賛否を示すよう要請する。その送付の日から4箇月以内に締約国の3分の1以上が会議の開催に賛成する場合には、同事務総長は、国際連合の主催の下に会議を招集する。会議において出席しかつ投票する締約国の過半数によって採択された改正案は、承認のため、国際連合総会に提出する。
2.1の規定により採択された改正は、国際連合総会が承認し、かつ、締約国の3分の2以上の多数が受諾した時に、効力を生ずる。

3.改正は、効力を生じたときは、改正を受諾した締約国を拘束するものとし、他の締約国は、改正前のこの条約の規定(受諾した従前の改正を含む。)により引き続き拘束される。

51条(留保)

1.国際連合事務総長は、批准又は加入の際に行われた留保の書面を受領し、かつ、すべての国に送付する。

2.この条約の趣旨及び目的と両立しない留保は、認められない。

3.留保は、国際連合事務総長にあてた通告によりいつでも撤回することができるものとし、同事務総長は、その撤回をすべての国に通報する。このようにして通報された通告は、同事務総長により受領された日に効力を生ずる。

52条(廃棄)

 締約国は、国際連合事務総長に対して書面による通告を行うことにより、この条約を廃棄することができる。

廃棄は、同事務総長がその通告を受領した日の後1年で効力を生ずる。

53条(寄託)

 国際連合事務総長は、この条約の寄託者として指名される。

54条(正文)

 アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語及びスべイン語をひとしく正文とするこの条約の原本は、国際連合事務総長に寄託する。以上の証拠として、下名の全権委員は、各自の政府から正当に委任を受けてこの条約に署名した。