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開設者の内科・小児科診療所です。禁煙外来、在宅診療も行っています。
Planes of Fameの零戦(1978年)
Planes of Fameの零戦(1995年)
国立科学博物館の零戦
航空自衛隊浜松基地の零戦
河口湖自動車博物館:五二型(現在は靖国神社:遊就館にて公開中)
河口湖自動車博物館:二一型
白浜の零戦
河口湖自動車博物館:二一型:2回目の公開
河口湖自動車博物館:完成した二一型と復元前の二一型
河口湖自動車博物館:二一型と復元中の五二型
河口湖自動車博物館:ほぼ完成した五二型と二一型
河口湖自動車博物館:エンジンを載せた五二型と新塗装の二一型、二一型主翼骨格
船の科学館の大和
「男たちの大和」撮影用大和
「男たちの大和」ロケセット
1997年 Fニッポン富士スピードウェイ
1999年 東京モーターショー
2000年 Fニッポン富士スピードウェイ
2001年CARTツインリンク茂木
2003年 東京モーターショー
2004年 F1鈴鹿サーキット
2007年 F1富士スピードウェイ
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車両

トヨタTS020

 今までお遊び程度には車を作ったことはありますが、このサイズのキットをまともに作ったのは初めてです。モデラー歴はウン十年なのですが、実はスプレーは使った事がありませんでした。なので失敗を重ねながらの完成となりました。
 このキットは1999年の東京モーターショーで展示されていた実車と異なる部分があります。詳しくは以下に記載しました。これはあくまで想像なのですが、キットはレース前にテストか何かを取材して作られ、その後レース時に塗装が変更されたのかと考えています。どなたか事情をご存知の方は教えて下さい。
 この車体はトヨタが最後のル・マン参戦時のもので、1・2号車がトップ争いの末にリタイアし、その後ろにいた片山右京の3号車がまさにカミカゼ右京の走りでプッシュしてトップに迫ろうとしました。当時はまだテレビ放映していましたがとぎれとぎれで、放映していない時間はネットでデータをみていてどんどんトップにせまるタイムをみて興奮していました。ところがしばらく席をはずしてネットを見直すと一気に順位が落ちているのです。なんとタイヤバーストでした。これがなければ日本人チームのトヨタが優勝もあり得なくはなかったので非常に残念でした。最終的には二位でした。一説によると外人ドライバーの1・2号車は新車で、3号車は前年度のものを改造したいわゆる型落ちだったという噂があります。日本人チームは発奮してこの成績を残したのだと言われていますが真実はどうだったのでしょうか。
上からエンジンルーム前方から実車後方から
  • さすが大スケールです。ミリタリー物ばかり作っていたのでこのサイズのデテールの細やかさは今まで味わった事がありません。
  • このキットでは前方の白い部分を台形に塗装するよう指定されていました。しかし1999年の東京モーターショーのページから転載した画像にあるように実車では三角でした。モーターショーのものはル・マンの汚れも落とさずに展示されていたので少なくともレースではこの塗装だと思うのです。
エンジンルーム車体下部コクピット上面実車ヘッドライト部先端
  • 上記のように実車と異なる点があと二つあります。一つはコクピット上部のエアインテーク前面です。モデルでは白いラインに指定されていますが実車では三角です。実車を上方から撮影できなかったのでなんとか見える画像からおよその感覚で三角に塗装しました。
  • ヘッドライトの先にあるへこみに矢印のようなカバーがキットにありましたがこれも1999年の東京モーターショーのページから転載した実車画像では取り付けられていません。