朝起きてテレビをつけたらちょうどテレビ寺子屋の時間だった。斎藤孝さんが出ていて(声に出して読みたい日本語の著者)天才に学ぶという話をしていた。
一つは天才は量をこなすということである。量の蓄積が質的な変化を生むものであり、量の蓄積こそが大事であるといっていた。これは弁証法の論理であり、量質転化と言っていた。私も同じことを考えていたので嬉しかった。
私は「文殊の智恵は戦術である」との考えである。戦略が決まっていて,その実現のためにどのような手段をこうじたら良いかをワイワイガヤガヤ論議をし、いろいろな手法を考える時に「3人寄れば文殊の智恵」となるのである。たとえば町内でフリーマーケットをするとする。目的は町内の仲間作りである。成功させるためにはある人はホームページで宣伝するといい、ある人はポスターを作る。口コミでみんなに話す。子ども会で宣伝し子どものフリマも出すようにする。いらないものを集めるなどなどいろいろな手法が出てくるのが良いのである。一定の戦略が決まればみんなでワイワイガヤガヤの文殊の智恵は有効である。
しかしながら戦略の構築の段階で文殊の智恵は適用できない。戦略の構築にはある程度先見の明と直感のようなものが大事である。公園を徹底的にきれいにし,花と緑の公園にすれば地域の子どもが遊び始め、地域の健全育成につながるという戦略は平島公園の湯本会長と私の仮説であった。今から10年前まではこの戦略はまだ認められていなかった。自治会でも批判的な人が多く、自治会での役員会での話し合いでも賛成されていたわけではない。けれどこの戦略をゆっくりじっくり、確実に実現を図ってきた。5年たってこの戦略は公園の周りの住民・自治会の共通理解となり、行政にも認められて、平島公園クラブも結成された。「花と緑の平島公園を」の戦略が定着したのである。こうなれば平島公園をきれいにするにはどうしたら良いかはいろいろなアイディアが出てくる。公園の周りの雑草をとり花を植える人・梅を剪定する人・ゴミを拾う人・芝刈り機草払い機で草を刈る人・集める人・腐葉土をもらっていく人・遊具にペンキを塗る人などなどいろいろな人が出てくる。これぞ文殊の智恵だと思うのである。
地域作りのために公園をきれいにするのが良いかどうかという戦略的論議を自治会で行ってもうまくいかないと思う。いろいろな人がいろいろなことを言うだけでうまくいかないことが多いのである。ある程度信念を持って失敗しても良いと思いながら孤独にチャレンジすることも必要である。
戦略的なことは、あまり論議をしないといったが、そうすると独裁的な考えが全体を支配するかのように勘違いが出てくる。ここに量をたくさんやることが質的な変化を生むことが大切になる。児童健全育成のことで言えば、児童の健全育成に直接メリットのある活動の量をこなすのである。ゴミを拾う・草をとる・子どもをunderstandする・子どもの遊びにチャレンジする・折紙を折るなどなど子どもに関わることをたくさん意識的に量をこなしていけば、あるときに質的な転換も起きると私は思うのである。逆に量的な関わりを忘れ、頭だけで健全育成を考えたり言ってりしていると、あるとき子どもの健全育成にとってデメリットになこともありうると思う。自分自身の反省を込めてであるが。
天才に学ぶの一つが量をこなすだが、その中身はもう一歩深められて斎藤孝さんは言っていた。量をこなすためにはやる意義を考えて段階段階に目的を持ってやると言うものである。
折紙を折るときに私は3枚ユニット・6枚ユニット・12枚ユニット・30枚ユニットなどと段階的にやっている。最初から30枚ユニットだとみんなやる気がなくなってしまう。3枚でまあ素敵・6枚でサイコロができた。12枚でくす玉それなら30枚ユニットにもチャレンジしてみようかということになる。
量をこなすこと。これは本当に大事なことだ。そのために子どもたちには少しづつ変容させることも大事である。『大きなカブ』のようにおじいさんから始まって次は誰が出てくるかの変容が話を楽しくしているのである。遊びを伝えるときも同様に一気にルールを説明して行うのではなく、一つ一つルールを追加していくと子どもは喜んで遊びだす。
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